アコンカグア記録
1 概要
これは、2012年12月19日〜2013年1月8日までの、YFクラブで実施したアコンカグア遠征隊の遠征中の報告です。YFクラブサポーター1名、YFクラブメンバー3名の計4名が参加し、2013年1月1日に2名、1月4日に残りの2名が登頂できるという素晴らしい結果でした。この報告は、遠征メンバー、日程、記録についてまとめたものです。
※遠征期間:2012年12月19日〜2013年1月8日、登山活動期間:2012年12月23日〜2013年1月5日のこと。
アコンカグア概要
一般的にアコンカグア山は、数ある7,000m峰の中で技術的には簡単な部類に含まれますが、7,000mという高所は平地の40%程度しか酸素分圧がありませんので、強靭な体力と精神力が必要です。海外の高所登山の事前準備として、体力、歩行技術、装備やロープワークの知識・技術習得と経験等はもちろんのこと、食事、乾燥した環境への順応、高所順応等の現地環境への適用も重要な要素になります。
国 |
アルゼンチン |
概要 |
七大陸最高峰の1つ、南アメリカ大陸最高峰。アンデス山脈の主脈から15km程度離れたアルゼンチン側に山頂を持つ。 |
山頂の標高 |
6,962m(6,959m、6,952mとの文献もあり) |
山頂の緯度経度 |
南緯32度39分13秒、西経70度00分45秒
※日本の北緯32度は九州中部(熊本、宮崎)付近 |
(YFサポーター 岡村 俊明)
2 メンバー・役割分担
今回の遠征メンバーは4名でした。遠征メンバーの初回の打ち合わせの時に、下記の役割をメンバー全員で分担しました。今回の遠征は、極力自立した登山スタイルで7大陸最高峰に挑むというテーマを持っていたので、メンバー全員が何かしらの役割を担い、安全に登山活動を実施し、登頂するというメンバー構成としました。遠征期間は、メンバー全員がそれぞれの役割を実行し、リーダーを助け円滑な登山活動を進めることができました。
メンバー一覧
メンバー名 |
主担当 |
登山結果 |
岡村 俊明 |
リーダー、行動決定、情報収集、装備管理 |
2013年1月1日にアコンカグア山に登頂。高度障害は軽い頭痛のみ。 |
渡部 知之 |
天候管理 |
2013年1月1日にアコンカグア山に登頂。高度障害は頭痛、運動能力低下等。登頂日は極度の疲労。 |
草なぎ 一 |
記録 |
2013年1月4日にアコンカグア山に登頂。初回アタックの12月31日に疲労・高度障害のため、いったんBCに下るも再アタック。 |
草なぎ あや子 |
食糧管理、体調管理 |
2013年1月4日にアコンカグア山に登頂。初回アタックの12月31日に疲労しいったんBCに下るも再アタック。 |
役割一覧
アコンカグア山遠征中の役割分担は、おおよそ行動決定、情報収集、装備管理、食糧管理、体調管理、天候管理及び記録です。
役割 |
担当名 |
内容 |
管理表 |
リーダー
行動決定 |
岡村 俊明 |
・遠征中の行動内容全般を意思決定する。
・登山活動中の行程を検討、決定する。
・天候・体調・装備管理のバックアップを担う。 |
行動表 |
情報収集 |
岡村 俊明 |
・他チーム、ベースキャンプ、現地通信を通じて、天候、ルートの情報を収集する。 |
日記等 |
装備管理 |
岡村 俊明 |
・遠征メンバー全員の共同装備を管理する。 |
共同装備表
個人装備表 |
食糧管理 |
草なぎ あや子 |
・登山活動中の1日、活動全体の食糧を管理する。 |
食糧一覧 食糧計画表 |
体調管理 |
草なぎ あや子 |
・登山活動中の遠征メンバー全員の体調を記録する。 |
体調管理表 |
天候管理 |
渡部 知之 |
・遠征中の天気の記録、天気予報の情報の取得と天候の総合的な判断を行う。
・民間の気象情報サービス(10日間)も併用し、登頂日を決定する。 |
天気記録表 天気予報表 |
記録 |
草なぎ 一 |
・遠征中の写真、行動時間、内容を記録する。
・遠征報告資料の作成。 |
日記等 |
(YFサポーター 岡村 俊明)
3 日記
アコンカグア遠征メンバーの草なぎ一さんの記録を使わせて頂きます。
日程 |
行程 |
行動概要 |
2012年12月19日 |
|
【飛行機】成田空港- |
12月20日 |
17:20 メンドーサ到着 18:00 ホテル到着 19:00 登山道具屋に買い出し 20:30 共同食料買い出し |
【飛行機】ダラス空港-サンチアゴ空港-メンドーサ空港-メンドーサ泊 |
12月21日 |
6:30 起床 7:00 朝食 8:00 ホテルロビーに集合、出発 9:10 観光局で登山申請 10:00 チームミーティング 10:30 買い出し 17:00 チームミーティング |
【滞在】メンドーサで登山申請、各種装備・食糧購入-メンドーサ泊 |
12月22日 |
7:00 起床 10:45 メンドーサ出発 14:00 ロスペニエンテス到着 |
【車】メンドーサ-ロスペニエンテス |
12月23日 |
10:30 オルコネス 14:25 コンフルエンシア |
【車】ロスペニエンテス-オルコネス渓谷 【登山】オルコネス渓谷-コンフルエンシア |
12月24日 |
9:00 コンフルエンシア 12:00 南壁展望所 5K手前(4000m) 14:40 コンフルエンシア |
【登山】コンフルエンシア-4000m-コンフルエンシア |
12月25日 |
9:00 コンフルエンシア 18:20 プラザデムーラス(BC) |
【登山】コンフルエンシア-BC |
12月26日 |
7:00 起床 13:30 高度順応 14:50 3名下山開始(4600m) 15:30 下見して下山開始(4800m) 16:00 BC到着 |
【滞在】BC |
12月27日 |
7:00 起床 9:00 朝食 10:10 BC出発 13:00 C1(カナダ)到着(荷物をデポ) 14:00 下山開始 15:00 BC帰着 |
【登山】BC-C1-BC |
12月28日 |
7:00 起床 11:40 BC(プラザデムーラス) 15:40 C1(カナダ) |
【登山】BC-C1 |
12月29日 |
7:00 起床 10:10 C1(カナダ)を出発 13:40 C2(ニドデコンドレス)に到着 |
【登山】C1-C2 |
12月30日 |
7:00 起床 11:00 C2(ニドデコンドレス)を出発 15:00 C3(コレラ) |
【登山】C2-C3 |
12月31日 |
4:00 起床 6:00 C3(コレラ)を出発 8:50 6300mで風強く断念 9:05 下山開始 9:40 C3(コレラ)到着 |
【登山】C3-6300m-C3 |
2013年1月1日 |
【岡村・渡部】 4:30 起床 6:00 C3(コレラ)出発 15:23 SUMMIT 15:30 SUMMIT出発 19:00 C3(コレラ)到着 21:00 就寝 【草なぎ一、あや子】 12:30 コレラ 16:00 プラザデムーラス |
【登山】C3-Summit-C3 |
1月2日 |
【岡村・渡部】 9:00 起床 12:00 コレラでポーターと集合 12:30 下山開始 13:20 ニド 14:00 ニド出発 14:30 C1到着、テント撤収 15:00 C1出発 16:00 BC到着 【草なぎ一、あや子】 15:30 BC 22:00 C2 |
【登山】C3-BC |
1月3日 |
【岡村・渡部】 8:00 起床 9:30 朝食 自由行動 13:20 ニド 20:00 夕食 【草なぎ一、あや子】 12:20 C2 15:30 C3 |
【滞在】BC |
1月4日 |
【岡村・渡部】 7:00 起床 8:00 ヘリで下山 8:10 オルコネス渓谷到着 8:20 ロスペニエンテス到着 8:30 朝食 9:30 ロスペニエンテスを出発 13:00 メンドーサ到着 【草なぎ一、あや子】 6:20 C3 14:10 SUMMIT 16:50 C3 |
【ヘリコプター】BC-オルコネス渓谷 【車】オルコネス渓谷-メンドーサ |
1月5日 |
【岡村・渡部】 7:00 起床 各自行動 【草なぎ一、あや子】 10:30 コレラ(C3) 12:30 BC(プラザデムーラス) 19:30 BCからヘリで移動 19:55 オルコネス 20:30 プエンテデルインカ 23:00 メンドーサ |
【滞在】メンドーサ |
1月6日 |
7:00 起床 8:00 朝食 9:45 ホテル出発 10:00 メンドーサ空港到着 12:25 サンチアゴ行き飛行機出発 13:25 サンチアゴ到着 23:00 ダラス行き飛行機出発 |
【飛行機】メンドーサ-サンチアゴ |
1月7日 |
6:00 ダラス国際空港着 10:00 成田空港に向けて出発 |
【飛行機】サンチアゴ-ダラス- |
1月8日 |
15:00 成田空港到着 解散 |
【飛行機】-成田空港 |
(YFメンバー 草なぎ 一)
4 記録
アコンカグア遠征メンバーの渡部知之さんの日記を記録として使わせて頂きます。
2012年12月19日(水)
夜7時10分発の便で成田発。12時間の空の旅を経て、同日午後4時ごろ経由地のアメリカ・ダラスに到着。夜9時10分発のチリ行きに搭乗したが、トラブルがあったらしく1時間ほど遅れて出発。すでに日本を発ってから18時間が経過している。
これから向かうアコンカグアは、私にとって死ぬまでに一度は登りたいと思っている山だ。以前、中央アジア以外で最も高い山が南米のアコンカグアと聞いたことがある。意外なところにあるものだ。あまり知られていないがどんな山なのだろう。数年前から山を少し登るようになって以来、いつか登りたい山は、ヒマラヤよりヨーロッパアルプスよりも、なぜかアコンカグアだった。
ある日、携帯を見ると、アコンカグア遠征計画のメールが届いていた。行きたいが、会社を休めるだろうか。お金は大丈夫だろうか。大いに迷ったが、いつか行こうと思っているうちは一生行けないだろう。そう自分に言い聞かせて、この話に乗ることにしたのだった。
2012年12月20日(木)
午前11時ころチリ・サンチャゴに到着。そこからまた5時間ほど空港でウロウロ。午後3時50分発の便に搭乗し、アルゼンチン・メンドーサに午後5時ころ到着した。成田から乗り継ぎ含め、約1日半。その間に夜が2回過ぎたので、感覚的には2泊3日の長旅だった。
空港で待っていたのは現地案内人のホアキンさん。彼の先導でタクシーに乗り、市内のホテルへ。その後、ホテル近くの山道具屋さんを案内してもらい、ガスなどの装備を買い揃えた。メンドーサは日の入りがとても遅く、夕方6時はまだ日中、夜9時ころまで空が明るい。
夕食は、ホアキンさんが紹介してくれたお店に行き、肉料理を注文。注文の仕方がよく分からず、一皿に肉がどーんと乗っただけの料理が出てきた。また、メンドーサ地方はワインが有名とのこと。ここで一杯やりたいが、私はあまりお酒に強くないので、体調を整えるためにワインは下山するまで控えておこう。必ず登頂して祝杯を上げよう。
2012年12月21日(金)
今日も午前中はホアキンさんの案内で、ホテル近くの観光局へ歩いて行き、登山申請をする。この季節、メンドーサは夏で気温は高いが、乾燥しておりとても過ごしやすい。オープンカフェがよく似合う、素晴らしい気候だ。登山申請を終えたところでホアキンさんとはお別れ。「ゆっくり登れば必ず登頂できる」とアドバイスされ、握手をして別れた。
その後、登山中の行動食を調達するため、4人で近くのスーパーへ。ナッツやドライフルーツを中心に買い込むが、どれくらい持っていけばいいものか判断がつかない。午後は草なぎさんたちとサンダルを物色。これは、ベースキャンプまでの道の途中に渡渉があるかもしれないという話なので、それに備えて持っていくものだ。初めての長期登山、初めてのアコンカグア。持っていく装備も試行錯誤だ。
ちなみに私は、行動食として日本からもカロリーメイト類をいくつか、そしてゼリー食を1食だけ持ってきた。ホテルでのミーティングで、岡村さんが「このゼリーをグランカナレータまでとっておけるようなら必ず登頂できる」と言った。グランカナレータとは、アコンカグア最大の難所である山頂直前の急登のことだ。そこでゼリーを飲むことで、登頂に必要なエネルギーを補給できる。逆に、それまでにゼリーを飲まなければいけないほど体力を消耗していたら、登頂は不可能という意味だ。このゼリーはなんとしてでもグランカナレータまでとっておかなければ……。
2012年12月22日(土)
この日は車に乗って、アコンカグアの麓近くの村、ロスペニテンテスまで移動。10時半ころにメンドーサの街を出発し、ワイン用のブドウ畑、そして砂漠やら岩山やらを抜けて走る。途中のオアシスのような村で昼食をとったが、出てきたのは大型サイズのステーキが2枚重ね。こんなでかいのは見たことないが一人前なのか?おいしかったので全部食べたが。
ふたたび車に乗り込み、午後2時半ころロスペニテンテスに到着。宿が数軒ある以外は周囲に何もない。高度は2600mほどで、ようやく山らしいところに来た。ここでラバ(現地ではムーラと呼ぶ)に載せてベースキャンプまで運んでもらう荷物を預ける。その後、ホテルにチェックイン。あとは何もすることがないが、うたた寝は高山病の原因になるとのことで、しばらく近くをお散歩。この地点でかなり風が強い。予報でも山頂は今、かなり風が強いらしい。
2012年12月23日(日)
ロスペニテンテスから車に10分ほど乗り、アコンカグア登山口へ。谷の向こうに白い大きな岩山が見える。「あれがアコンカグアだ」とドライバーさんが言う。とうとうやってきた。レンジャーステーションで入山申請をして、いよいよ歩き出す。ドライバーさんが去り際に「Go to Summit」と言ったのがとても印象深かった。日本からはるばるここまでやって来て、ホアキンさんやらドライバーさんやらにもお世話になって、そこまでしてやって来て、それでもあの山のてっぺんまでたどり着ける人は30%ほどだという。その30%になんとしてでも入りたい。
登山口からは、アコンカグアの麓まで続くオルコネス渓谷という大きな谷底の緩い登りを歩く。風はけっこう強く、乾燥しているので歩くと砂埃が上がる。途中の休憩時間に行動食を食べたが、ドライトマトが硬くて食べづらい。トマトは栄養があると思いたくさん買ってしまったが失敗だったか。
時折ムーラ隊とすれ違いながら4時間ほど歩き、午後2時半ころにコンフルエンシア(3400m)に到着。レンジャーステーションで健康診断を受け、4人とも問題なし。コンフルエンシアでは、食堂用のテントが常設され、朝夕の食事も提供される。特に夕食は想像以上にしっかりしていた。世話人のサリーナさんが登山者の栄養を考えてつくってくれているのだそうだ。
夜は食堂用テントにシュラフを敷いて宿泊。今日からは、高山病対策として水を多量に飲んでいるため、夜はトイレに行く回数が多く大変だ。深夜、目が覚めて外に出てみると、星がものすごく輝いて見える。これほど天の川をはっきり見るのは生まれて初めてかもしれない。
2012年12月24日(月)
温度計を見ると、夜中の最低気温は-3℃(室内)。朝方も太陽が当たるまでは寒い。今日は高度順応日ということで、先には進まず、アコンカグアのビューポイントであるプラザフランシアまで往復の予定である。
今日も風が吹くなかをしばらく歩くと、所々に氷の壁のようなものが見えはじめた。さらに進むと、前方に巨大な氷の地面が広がっていた。どうやらこれが氷河というものらしい。氷河を見るのも生まれて初めてだ。渓谷の奥まで広がる氷河と、その向こうにそびえるアコンカグアの壮大な風景。そんな感動とともに歩いていると、いよいよ風が強さを増してきた。現在約4000m。今日は無理をせず、この辺りで引き返すことになった。写真を撮ったりしながら休憩していると、突然突風が吹いて、顔面に砂を思い切り投げ付けられたように砂埃がぶち当たり、身体もひっくり返されそうになった。サングラスが無ければ目を怪我していたかもしれない。アコンカグアの山頂を見ると雪煙りのようなものが上がっている。恐ろしく風が強いようだ。
コンフルエンシア帰着後には、周囲の山の頂上に笠雲がかかり始めた。風が強いという証拠だ。私たちは本当に登頂できるのだろうか、この後数日で風は弱まってくれるのだろうか。
今日もサリーナさんの栄養満点の料理を食べて就寝。この日はクリスマスイブ。夜中に寝ていると、どこかで小さな打ち上げ花火の音がした。
2012年12月25日(火)
コンフルエンシアからベースキャンプ(BC)への移動日。おいしい料理を作ってくれたサリーナさんとも今日でお別れ。どうやら風邪を引いてしまっていたらしいが、笑顔で送り出してくれた。
しばらく歩くと見晴らしのいい場所に出て、自分たちが歩いている渓谷のはるか前方まで見渡せる。壮大な景色だ。今日も風は強いが、ここからは遮るものが何もない。時折、砂嵐のような風が吹き付けてくる。さながら荒野を進む西部劇のワンシーンのようだ。途中で小川を横切る場面が何か所かあったが、サンダルを使うほどではなかった。
ほとんど変わらない景色の中を9時間あるき、ようやく午後6時にBCに到着。標高4300m。生まれてから一番高い場所に来ている。このところ何から何まで初めてづくしだ。さすがに空気が薄い。ここからは自前のテントで寝ることになるが、テントを設営するだけで息が切れる。
BCではパブロという管理人さんがいろいろとお世話をしてくれた。ちなみにコンフルエンシアのサリーナさんも、BCのパブロも、グラハレス社というアコンカグアの会社のスタッフさん。BCまでの行動は全部グラハレス社の人たちが世話をしてくれている。このBCでも、食事はパスタやステーキやスープなど、街中と変わらない立派なものが出てきた。
登山を始めて以降、毎晩大変な夜中のトイレだが、ここではさらに大変というか面倒である。テントのチャックを開け、靴を履き、一度グラハレスのスタッフテントまで鍵を取りに行き、それからトイレに行かなくてはならない。外は寒いし、まったく漏れてしまいそうである。
2012年12月26日(水)
朝起きた時点で気温-7℃と寒い。今日は高度順応日で、身体を慣らすためにBCから300mほど上まで登ってみる。BCの周囲は雪渓が風で削られて(?)巨大な針の山のようになっている。珍しい光景である。今日はあまり風は強くない。午後からは雲が出始め、夕方には空の半分以上が雲に覆われた。アルゼンチンに来てこんなに雲が出るのは初めてだ。
BCに戻り、ここでの1回目の健康診断。4人とも全員問題なし。
2012年12月27日(木)
今日はキャンプ1(カナダ)への荷揚げ日。標高が高いため背負える重量は10kgまでと聞き、荷物の重量を計算してみると予想以上に上に持っていけるものが少ないと分かった。今日は共同装備とアタック用の服を少しだけ持って上がることにした。カナダへはBCから3時間ほどで、標高は約5000m。デポ用のちびテントを建てるが、ものすごく疲れた。今日も夕方は雲が多かった。
下山後にBCでの2回目の健康診断。今日も全員問題なし。また、これまでの天気予報から、行動予定を変更して登頂日を1日前倒して12月31日にすることと、途中でポーターを雇うことが決まった。
2012年12月28日(金)
BCからカナダへ移動。今日は昨日持っていけなかった荷物を持っていかなくてはならないが、昨日より増やして15kgとしたものの、やはり当初予定していた荷物からかなり減らさなければならない。不要そうなものはすべてBCに置いていくことにしたが、初めての場所なので装備の取捨選択にはかなり迷った。
いよいよ出発。パブロと記念写真を撮る。激励の言葉と「Happy new year!」で送りだされた。そう、次にここに戻ってくるのは来年だ。
今日は日中やや風が強く、昨日ほどではないが夕方やはり雲が多かった。午後から雲がでて夕方曇りがちになるのがパタンのようである。
カナダに到着後、まずやることは水づくり。ここから先は水も自分たちでつくる必要がある。今日は近くの雪解け水を汲んで、浄水装置でろ過して水をつくった。夕食はリゾットにチャレンジしてみたが、高度のためかいまいち米がちゃんと炊けず、ぼそぼそとした感じだった。
2012年12月29日(土)
カナダからキャンプ2(ニド・デ・コンドレス)に移動。今日はテントなどの共同装備をポーターさんに上げてもらう。今日のポーターはエドアルドさん。朝、BCから登って来て、私たちより重い荷物を背負い、私たちよりも早く次のキャンプまで登ってしまうすごい人たちである。
これまであまり高度障害のようなものは感じなかったが、今日は歩いていて若干胃腸の調子が良くないように感じた。心配になったが、途中、傾斜が緩くなった地点から山頂への斜面がはっきりと見えた。まだ1500m以上標高差はあるが、目標が「どこかにある頂上」から「あそこが頂上」に変わり、なんとなくこれは登頂できるぞ、という気持ちが湧いてきた。
午後2時半ころニドに着くと、エドアルドさんがテントを一つ建て終えてくれていた。彼はこれからBCに戻るらしい。本当にすごい人たちだ。残った私たちは、今日は雪をとかしての水づくり。標高は5400mくらい。雪を掘るだけで息が苦しい。
今日は風は弱かったが、ニドについてしばらくすると雪が降り始め、辺りが霧に包まれてしまった。山頂にも雲がかかっている。夕方には晴に戻ったが、登頂日の天気は大丈夫だろうか。
夕食はアルファ米でリゾット。今日はおいしくできた。地元のスーパーで買ったカレー粉も試してみたが、それだけでは味がなく食べられなかった。これは失敗のようだ……。
夜中の健康チェックでは、一さんが疲れ気味とのこと。高度がかなり高くなってきたので、今日から岡村さんに高山病予防の薬「ダイアモックス」をもらって、寝る前に飲むことにした。しかし、この薬は副作用でトイレに頻繁に行きたくなるのだ。結局、夜中に5〜6回トイレに行ってしまった。
2012年12月30日(日)
ニドからキャンプ3(コレラ)に移動。今日もポーターさんがBCからやってきた。本当にすごい。今日のポーターはパブロさん。また、ここから上では不要と思われる荷物を、袋にまとめてデポすることにした。
今日は昨日よりも風が強く感じたが、順調に進み午後2時ころコレラに着く。すでに、周りに見えるどの山よりも高い場所にいるように見えた。パブロさんによると夜は風が強いという。今日も夕方に雪がちらつき、霧に覆われる時間帯があった。
明日はいよいよ山頂アタックなので、今日の夕食は景気づけにアルファ米と日本のカレー。安心のおいしさである。
夜中はやはり風が強くなった。テントがバタバタ揺れている。テントの中で感じる風としては、これまでで一番強い。明日の天気は大丈夫だろうか。今日は私の好きなPerfumeの「Dream Figther」を聴いて就寝。明日は登頂の夢を叶える日になるだろうか。そしてこの日もダイアモックス効果でトイレに5〜6回・・・。
2012年12月31日(月)
いよいよ山頂アタックの日。しかし風は収まっていない。岡村さんがほかの隊の様子を見にいってくれた。予定より時間を少し送らせて6時に出発。それから2時間半ほど斜面を登っている時はまだよかったが、6300m付近で尾根に出る辺りでそれまでよりも風が強くなった。空気がとても薄い状況でこの風が吹くと、バランスを崩され、ひどく体力を奪われる。しばらく風の無いところに避難し様子を伺う。結局、上空にすじ雲も出ていたため、残念だが今日の登頂は断念して引き返すことになった。
それまではなんとなくがんばれば登れるのではないか、と思っていたが、今日登れなかったことで、とてもショックで疲れてしまった。テントに戻りしばらく座り込んで動けなくなった。その後、体力回復のために昼寝をして、水づくりの雪掘りも岡村さんに一人でやってもらってしまった。
明日登れるという保証もなく、ここまで来て登れなかったら本当に最悪だ・・・。そんなネガティブな気分でいたが、テントにいるうちに段々と風が弱まってきた。明日どうにか天候が回復してくれるのを祈るばかりだ。今日も「Dream Figther」を聴きながら寝る。また、高度にも慣れてきたと感じたので、ダイアモックスは飲まなかった。夜中、一さんが咳をしているのが聞こえた。体調は大丈夫だろうか・・・。
2013年1月1日(火)
今日は2013年最初の日、お正月である。しかし、この大きな山のなかでは、去年も今年も存在しない。お正月という大きな節目も、この世の絶対的な決まりではなく、人間が決めているだけのことなんだと感じた。
今日は昨日よりも風が弱い。チャンスは昨日よりもあるはずと思い、準備をしていると、草なぎさんたちからトランシーバーで連絡があった。二人とも体調が思わしくなく、山頂へのアタックは諦めて下山するとのことだった。残念である。これまで何か月も一緒にトレーニングやら準備やらしてきて、あと1日で山頂という時に本当に下山してしまうのだろうか。おそらくこちらが考えている以上に体調が悪いのであろう。結果、岡村さんと私の2人だけで山頂にアタックすることになった。岡村さんのペースについていけるだろうか、足を引っ張ることにならないだろうか。
昨日と同じ道を進むと、山の合間から太陽が上がっているのが見えた。もう上がってしまったが、これが2013年の初日の出だ。日付上のお正月には実感がなかったが、太陽の光はなぜだか心を動かすものがある。無事に登頂できるように太陽に向かって祈った。しかし、私のすぐ隣ではガイド登山パーティの一人が疲労のためか泣いて座り込んでいた。また、その先では嘔吐している人もいた。やはりここは過酷な環境だ。
昨日、引き返した地点までやって来た。ここでも風はあまりない。坂を登り切ると少し開けた場所になっていて、何人かの登山者が休憩をしていた。そのうちの一人が「Happy New Year!」と発し、みんながささやかに新年をお祝いした。
少し休んだ後、さらに進むと一気に前方の視界が開けた。ここが何度も話しに聞いていた大トラバースと呼ばれる場所だ。この先にグランカナレータがあり、そこを登り切れば山頂である。大トラバースは、地形的に常に風が吹いており、顔面が冷たい。が、バラクラバをつけるととても息ができない。風に吹かれながらトラバースの後半まで来ると、ルートが雪に覆われていた。雪を避けるように下へ迂回して、その先の傾斜の急な砂の斜面を登ることにした。しかし崖のように急な斜面だ。ここを登るため、岡村さんがアイゼンとピッケルをつけるように言った。ここまで背負ってきたアイゼンにようやく出番が回ってきたのだ。後ろから二人組のパーティがやってくるのが見えた。彼らは斜面を前にしてしばらくの間立ち止っていたが、やがて来た道を引き返していった。こんなところまで来て、引き返してしまうのか。他人のことながら、なんてもったいないという気になった。私はアイゼンを装着して斜面を登り始めた。しかし、傾斜が急な上に一歩ごとに砂が崩れ落ちて前にほとんど進めない。空気が薄く、数歩歩くとマラソンを走った後のように息が切れる。岡村さんからどんどん引き離されてしまう。この急傾斜で体力をひどく消耗してしまった。急登を抜けるといくぶん緩やかな道になったが、体力が回復しないのと、空気が薄くなったのとで、5歩進んでは止まるという具合になってしまった。そんなことを繰り返し、この斜面を抜けるのにものすごく長い時間をかけてしまった。
斜面を登り切ると、そこがグランカナレータの登り口だった。岡村さんがここでタイムリミットについて話し始めた。現在午後1時で登頂のタイムリミットは午後3時とのこと。ここまでの道のりと、この先の斜面を考えると、登れたとしてギリギリではないかと予想できた。私はここで、それまで飲まずにとっておいたゼリー食を飲むことにした。「グランカナレータで飲むことができたら登頂できる」と言われたゼリー食である。これで登頂間違いなしだ。そう自分に言い聞かせて進むことにした。
グランカナレータの前半は、ゼリーを食べたせいもあってか思ったよりも速く進むことができた。しかし後半は息切れしてしまい、またもや5歩進んで止まる状態となった。ようやくグランカナレータを登り切ってあと頂上まで緩やかな登りだけとなったころ、おそらく午後3時近くになっていたらしい。岡村さんが最後の手段としてザックを置いて水と行動食だけ持って登るぞ、と言った。私は頂上で掲げるための旗をジャケットの中に詰め込んだ。登りの途中、岡村さんが後ろを指差した。振り返ると、絵葉書やポスターで何度も見たことのある、真っ白な南壁が切り立っていた。ここは間違いなくアコンカグアの頂上直下なのだと思い、鳥肌が立った。そうして登ること30分くらいだろうか、とうとう頂上の真下にたどり着いた。岡村さんが、「最初に登っていいよ」と言ってくれた。ありがたかった。
最後の坂を乗り越えると、何もない、誰もいない、平らな岩の空間が広がっていた。午後3時半ころ、私たちはとうとうアコンカグアの山頂に到達した。山頂にたどりついて感じたのは、とにかく「やった!」のひと言に尽きた。周囲に見下ろすアンデスの山々。しかし、景色が素晴らしかったという印象はあまりない。心の中で「うおー、やったー!やったー!」という声がただただ沸き起こってくるだけだった。広いと聞いていた山頂は、たしかに広かったが、あの巨大すぎるほどの山からすると、ささやかなものに感じた。しばらくすると、一人で登ってきた登山者が頂上にやってきた。見知らぬ彼と握手を交わし、登頂を称え合った。そして岡村さんと二人で「YFCLUB」の旗を広げ、その彼に写真を撮ってもらった。
写真を撮り終えると、すぐに岡村さんが下山しようと言った。周囲にはかなり雲が出始めている。昨日までの感じだと、これから山頂付近が霧に包まれる時間帯だ。岡村さんは常々、一番の目的を「生きて帰ること」と言っていた。確かに、ここまでの道のりを考えると、帰り道も死ぬほど大変だろう。頂上での滞在時間10分ほど。最後に周囲の山々をもう一度見回して、今この瞬間、この大陸で誰よりも高い場所に立っていることを噛みしめて、山頂を後にした。
グランカナレータの下りは歩くとどんどん足元の砂利が流れていき、非常に不安定な上に、登頂で体力を使い果たしてしまったため、なかなか下りることができない。岡村さんは少し先を進みながら、私が下りるのを待っている。ふらふらになりながら少しずつ下りていると、あたりの空気がキラキラと輝いて見えた。これってダイアモンドダスト?それともあまりの疲労でとうとう幻覚が見え始めたのか?幻想的な景色のなかをゆらゆらと下っていく。しかし私のスピードは上がらない。このペースだと帰るのに何時間かかるのだろうか。少しずつ少しずつ坂を下り、どうにかグランカナレータを下り切った。
天気は次第に悪くなり、霧が濃くなってくる。じきに雪がちらつき始めた。この先は雪に覆われた大トラバース。行きに登ってきた急坂の迂回路を下るか、雪の斜面を横切るか・・・急坂は転倒した時に止まらなくなる危険が高いので、アイゼンを装着して雪面を通ることにした。ザックを下ろし、斜面に座り込む。しかし、そこから身体が動かずアイゼンを装着することができない。岡村さんを長いこと待たせ、ようやくアイゼンを片足ずつゆっくりゆっくり装着していく。雪の斜面は比較的歩きやすかった。
雪の斜面を下り切ると、あとは残りのトラバース、そしてその先はゆるい斜面をひたすら歩いて下るだけだ。天気も再び回復してきた。しかし、足取りは重く、スピードは遅くなっていく一方だ。岡村さんの姿がどんどん小さくなっていく。私はついていく気力もなく、頻繁に立ち止りながら下った。途中で手頃な石を見つけ、腰かけて休息を取る。岡村さんは斜面の向こうに見えなくなってしまった。しばらく休憩した後、ちょぼちょぼと歩き始めると斜面のすぐ向こうに岡村さんがいた。私が見えなくなったので待っていてくれたのだという。山では、疲れた人を置いていくのは危険なので絶対にしてはいけないということだった。ここから先は、私が先頭を歩いて下りることになった。ゆっくりゆっくり、ゆるやかな斜面を何度も立ち止りながら下りていった。
日もだいぶ傾いてきたころ、斜面の向こうにキャンプが見えた。ようやく帰ってきた。長い長い道のりだった。最後の力を振り絞ってキャンプにたどり着く。登頂した時とはまた違うというか、ある意味それ以上のうれしさがこみ上げてきた。長い道のりをとうとう歩き切ったのだ。そして無事に生きて帰ってくるという目的を達成したのだ。なぜか、いまになって登頂したという実感がより強く湧きあがってきた。
その夜の記憶はあまりない。とにかく疲れた。そして登頂できて本当に良かった。
2013年1月2日(水)
今日は荷物をまとめてBCまで一気に下りる予定だ。朝食は小さな貝殻パスタ。これは割とおいしくできた。今から思うと、これをもっと多用した方がよかったかもしれない。テントをたたみ、今日もはるばるBCから登ってきたポーターさんに共同装備を預け、私たちはコレラを後にした。
岡村さんはすたすた下りていく。私は昨日で体力を使い果たしてしまった感じがしてスピードがあがらず、今日もまた引き離されてしまった。そうはいっても下りは早いもので、ニドまで1時間もたたずに到着。ここでデポした荷物を回収する。また、二人の日本人に出会い、話を聞くと彼らも昨日山頂にアタックしたとのことだった。結果は、一人が登頂、一人はグランカナレータで撤退とのこと。あらためて、登頂できなくても当たり前の山なんだと思った。
ニドから先は、岡村さんはカナダでちびテントを回収。私は直接BCへ下りることに。ニドで詰めた荷物が予想外に重く、私のスピードはさらにゆっくりになった。ただ、BCにたどり着けないということはなさそうだ。幸いなことに気候もいい。だらだらと砂利道を下って行った。
のんびりのんびり休憩をとりながら歩き続け、そのうちに何度も上り下りしたBC近くの斜面までやって来た。懐かしい感じがする。あと少し、と思い歩いていると、下から見覚えのある格好をした二人組が上ってきた。草なぎさんたちだ。なんと、体調が回復したのでもう一度アタックするのだという。いまから登るのは難しいのではないか・・・とも思うが、今のチャンスを逃したら、ここまで来れることはもう一生ないかもしれない。チャンスがあるなら上りたいという気持ちは、十分に理解できる。しかし、自分が同じ立場だったらがんばれるだろうか。とにかく悔いのないようにがんばってほしい。そして4人が笑顔で帰国できればいいと思う。
BCに着いた。くたくたになってグラハレスのテントの前にしゃがみこんでいると、サングラスをかけたパブロが通りがかった。こちらを見て「My Friend!」と声をかけてくる。登頂したことを報告し、疲れすぎてもうダメだと伝えた。「しかしお前はここにいるじゃないか!」と言われ、とても安心した。「無事に帰ってくる」ことがなにより重要とされる、それが高所登山なのだとあらためて感じた。
夕食までの間、することもないので食堂用テントに入ると、マイケルというドイツ人登山者がいた。彼は12月31日(私たちが撤退した日)に山頂アタックしたらしい。だがグランカナレータを登り切ったところで、体力がなくなり撤退したとのこと。彼もまた、明日再び出発して山頂を目指すという。
夕食はマイケルと一緒にとる。あたたかいスープが身に浸みる。その後、翌日以降の打ち合わせのためにグラハレスのスタッフテントへ。明日は一日BCで過ごし、明後日、草なぎさんたちより一足先にメンドーサの街へ下りることにした。往路は合計13時間かけて歩いたオルコネス渓谷だが、下りはムーラに乗って帰ることに。打ち合わせの後はスタッフの飲み会に加わって、今日二度目の夕食をいただき、ワインとフェルネットというお酒を飲んだ。メンドーサの街に戻る前に、BCで祝杯を上げられるとは。そして私はしばらくすると夢の中へ・・・。
2013年1月3日(木)
パブロから提案があり、明日はムーラから一転、ヘリコプターに乗って帰ることになった。朝食後、マイケルが旅立つ。登頂できますように。また、スタッフたちから私たちの不要な装備を売ってくれないかという話になり、テントの前でフリーマーケットが始まった。私は靴とジャケットを売った。昼食はスタッフ用テントでパブロとポーターのナトゥと一緒にパスタを食べ、山のことや日本のことなどいろいろと話した。
午後はアイゼンとピッケルを持ち、BC近くの氷河見物へ。夜は夕食の後、ふたたびスタッフテントへ。ここでさらに装備を売ることになり、時計とミトンを売った。大切に使ってもらえればいいなと思う。夜は、パブロの計らいで宿泊用テントに泊めてもらった。
2013年1月4日(金)
朝、パブロに起こされて目が覚める。スタッフテントで休んでいると、やがて一本の無線が入る。さっきまでボーっとしていたグラハレスのスタッフたちが、すごいスピードでヘリポートへ向かう。大きな機械音とともにヘリがやってきた。荷卸しが終わると、頭を下げて気をつけてヘリに乗るように言われた。言われるままに乗り込むとパブロは慌ただしくベルトを締め、お別れを言う間もなくドアを閉めた。パブロの合図でヘリが飛び立つ。見る見る小さくなっていくグラハレスのスタッフたちが、手を振っているのが一瞬だけ見えた。
アコンカグアを横目にヘリは広大なオルコネス渓谷を進む。じきに山頂と南壁が見えた。草なぎさんたちは登頂できるだろうか。すぐにコンフルエンシアが見えてきた。サリーナさんにお別れを言うことはできなかったが、元気にしているだろうか。そして5分ほどでヘリは登山口に到着してしまった。
車に乗り込み、ロスペニテンテスに向かって走り出す。振り返ればまだかろうじて窓からアコンカグアの姿が見える。名残惜しい気持ちで走る車の中からアコンカグアの白い南壁を見ていた。これでもう見納めだ。車は走り続け、山の陰にかくれてとうとうアコンカグアは見えなくなった。その日の昼過ぎにはメンドーサに到着した。
2013年1月5日(土)
日程に一日余裕ができたので、私はメンドーサ名物のワイン工房や土産屋巡りを楽しんだ。その日の夜遅く、草なぎさんたちもメンドーサに帰ってきた。なんと無事に登頂できたとのこと。よかった!これでみんな笑顔で帰ることができる。
2013年1月6日(日)以降
午前、アルゼンチンを出国。飛行中、窓からもう一度だけアコンカグアを遠目に見ることができた。上空から見ると、オルコネス渓谷がアコンカグアの周りを囲んでいるのが分かる。あの長い長い渓谷を13時間もかけて歩いた私たちだが、こうして見ると、巨大なアコンカグアの麓をウロチョロしていただけにすぎなかったのだ。私たちが山頂に立てたのは、たまたまアコンカグアの機嫌が良かっただけなのだと感じた。私たちは本当に運が良かったと思う。12月25日にBCについたころ、山頂には30m/s級の風が吹いていた。どれだけ技術や体力のある人でも、どれだけ入念に準備したとしても、あの条件で登頂するのは難しいだろう。それが、私たちの登頂予定日の前後は、風が弱まってくれた。もし私たちの日程が前か後ろに数日ずれていたら、登頂できなかったに違いない。天気の変化は人間にはどうすることもできない。本当に運が良かったとしか言いようがない。
また、私の身体に大きな高度障害が起こらなかったのも運が良かった。これは丈夫な身体に産んでくれた親に感謝するべきかもしれない。
ほかにもたくさんの人たちに助けられた。日本で装備を譲ってくれた友人。ホアキンさんやサリーナさんや、パブロたちグラハレスのスタッフ。ポーターさんたちは今日も笑顔で重い荷物を背負っているだろうか。彼らに譲った時計やブーツは役に立っているだろうか。
そして遠征メンバー。実際のところ、私は岡村さん、一さん、あや子さんの3人と一緒でなければ絶対に登頂できなかったと思う。岡村さんは山のエキスパートとして、天気のことやテント生活のこと、そのほか山の知識や技術を一から教えてくれた。そしてなにより、山頂アタックで体力のない私を待ち続け、一緒に登ってくれた。一さん、あや子さんは山の先輩として、自分たちの体験をもとに本当にたくさんのアドバイスをしてくれた。特に装備に関しては、ほとんど草なぎさんたちのアドバイスで揃えたものだ。皆さん、本当にありがとうございます。
帰路は再び、チリ、アメリカを経由して、1日半の長い空の旅となった。1月8日午後、アコンカグア遠征メンバー4人全員、登頂を果たし無事日本に帰国。私が山頂にいたのはわずか10分の短い時間だったが、その経験は大きな財産となって、私の人生に永遠に刻まれると思う。
(YFメンバー 渡部 知之)
5 編集後記
正直、この南米 アコンカグア山へいこうと思ったのは偶然だった。2012年の初夏、ヨーロッパ遠征を計画する時に、年末年始の暦も確認していた。2012年の年末から年始にかけて、国民の休日、年末年始、土日など、長期休暇のとれる好条件が揃っていた。それらをつなげても16日。これは海外登山の長期遠征ができる十分な日程があり、冬の長期遠征と言えば、季節が逆転する初夏の南米最高峰 アコンカグア山しかないな、と考えるようになった。実際、NHKや民放テレビで取り上げられ、遠い山ではなくわりと身近な山に感じられていたことも要因かもしれない。
遠征のための下調査も含めると出発の約8か月前から入念な準備に取りかかった。過去の記録や知人からの情報収集と整理、旅行会社との調整、遠征メンバーの募集や説明会、トレーニングイベントの企画や実施、これまでの高所登山の経験と最新の高所順応技術の確認、南アメリカ大陸の天気・天候の調査、民間の天気情報会社との調整、スポンサーとの折衝などなど・・・。実際、準備には膨大な時間が必要だったし、十分とはいえないまでもかなりの時間を費やした。
今回の遠征もすべてがうまくいったとは思わないが、当初の遠征の目的は完全に達成できた。今回の目的の第1は、「生きて帰ること」。生きて帰って初めて家族や友人に登頂の喜びを伝えることができる。幸いにも入山してから登頂までの可能性30%に入ることができたが、天気も良かったし、C3から山頂までのルートも比較的状態は良かったのでラッキーだった。
だが、これに満足しているわけではない。また違うメンバーとともにこの南米の地に戻ってくるかもしれないし、今後世界の山々を登り続けていくだろう。人はチャレンジし続けることによって成長する。この精神がYFクラブ(You are the future)の語源なのだから。
(YFサポーター 岡村 俊明)
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