2002年5月に永野、宮里さん、鈴木さんの3名で
マッキンリー登頂隊を結成しました。
その後、1年間のトレーニングを経て
2003年5月28日から6月27日までの
約1ヶ月間にわたるアラスカ、マッキンリー登山の報告をいたします。

結果は、永野が単独登頂。
宮里さん5,000メートル敗退。
鈴木さん体調不良のため2日目敗退。

今回の報告では、永野と宮里さんの日記を中心に、
皆さんにマッキンリー登山の雰囲気をお伝えしたいと思います。
永野の日記は青、宮里さんの日記はピンク色で表示いたします。
最初にマッキンリーの概要と日記で使用した用語からお話ししましょう。



マッキンリー概要
名称 デナリ山(マッキンリー山)
場所 アメリカ合衆国 アラスカ州 北緯63度
標高 6,194m 北アメリカ最高峰
ルート名 ウエストバットレス

用語
LP ランディングポイント 標高2,200m。セスナが降り立つ場所。
C1 キャンプ1 標高2,400m。
C2 キャンプ2 標高2,900m。
C3 キャンプ3 標高3,350m。
BC ベースキャンプ 標高4,330m。
HC ハイキャンプ 標高5,240m。
デポ   後で回収するために、装備や食料等をあらかじめ埋めておくこと。
フィックスロープ   あらかじめ張っておく、もしくは張ってあるロープのこと。

マップと高度表
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それでは、マッキンリーへ出発しましょう。



5月28日(水) 成田→アンカレッジ
いよいよ出発の日だ。日本の天気は良く、準備も万全。 アンカレッジには夜20:00到着。まだまだ日が高く、23:30頃日は沈むらしいが、その3時間後にはまた昇るらしい。 完全に暗くなることのない白夜の世界だ。今日の宿泊先のホステリング・インターナショナルへは空港からタクシーで向かう。 明日は買出しもあるし早く寝よう。 白夜のアラスカ。 真夜中になってもまだ明るく、夜になったという感じがしないためか、ずっとこのまま起きていたい気がする。 それに、もう6月になろうとしているのに、まだまだ肌寒い。さすがアラスカ。 北の大地へ来たな、という実感がわく。

成田空港で アンカレッジの町 アンカレッジのユースホステル


5月29日(木) アンカレッジ
今日は食料とギア−の買出し。登山用具は、REIとAMHで、食料は、Sagayaというスーパーで買った。 日本からほとんどのものを持ってきているので、買い物は昼までに全て終った。 宿泊しているユースホステルは、バックパッカーと登山者が半々の割合で泊まっている。 私のルームメイトは、ニーニョという好青年。彼は、元ノースフェイスチームのメンバーで、 現在は、チーム・マウンテンハードウェアーに所属している。 マッキンリーも冬期1回(敗退)夏期3回(登頂)の経験があり、かなりの情報をもらった。 その他にも単独でマッキンリーを目指す溝口くんという日本人、「登山魂」とメモ帳に書いてある台湾隊も泊まっていた。 彼等と話しているうちに緊張感が高まってきた。どうやら、そんなに甘くなさそうだ。 買出しに出かける。市内を囲むように山脈が連なっているのが見えた。 雪の付いたゴツゴツした岩稜帯と、歩いたらいかにも気持ちよさそうな緑の丘陵帯のコントラストが美しい。 チュガチ山脈、2,000m級の山々らしい。700以上のトレッキングルートと登攀ルートがあるとニーニョに教えてもらう。 アンカレッジからほど近い場所にも、自然があふれている。さすがアラスカ。また思う。

食べられるときに食べよう、とアンカレッジではおおいに食べた チーム・マウンテンハードウエアーのニーニョ


5月30日(金) アンカレッジ→タルキートナ
今日も朝食を摂ってから、町をブラブラとし、昼食をたらふく食べ、ユースのフロントでゴロゴロしていた。
17:00にタルキートナ行きのシャトルバスがユースホステルまで迎えに来てくれた。 シャトルには既に空港から乗せて来たノルウェー人4名とメキシコ人1名が乗っていた。 彼等も、今回の目的はマッキンリーだそうだ。 シャトルは私達を含め3グループのクライマーをのせてアンカレッジを出発した。 20:00タルキートナのクライマーズハウスに到着。 ここは、タルキートナ・エアー・タクシー(セスナ会社)が所有するクライマーのための無料宿泊所(一軒家)だ。 中に入ると既に何グループかのクライマーがいて、下山してきたグループもあれば、 出発を明日に控え準備中のグループもいた。 各部屋には各隊のギア−があちらこちらに広げられ、いよいよ来たなと実感させられた。 私達の出発予定は2日後なので今日は何もせずに寝よう。
近くのモールでインターネットが見られると聞き、YFのホームページを見に行く。 文字化けしていて文章は読めないけれど、成田での出発の写真が出ていた。 アンカレッジのモールで、3日ほど前の日本での自分たちと対面するのは、なんとも不思議な気分。 夕方、タルキートナ・シャトル・バスに迎えに来てもらう。 日本を発つ前に今日の便を予約しておいたのだが、約束の時間にこうして来てもらい、 ひとつひとつやることが済んでいくたび、いよいよマッキンリーだ、という実感が高まる。 3時間ほどでタルキートナに到着。晴れていればマッキンリーも見えるらしいが、あいにくの小雨。 クライマーズハウスに荷物を運び入れると、今日下山してきたチームや出発待ちのクライマーたちでかなり混みあっていた。 下山してきたグループの安堵感や達成感と、これから出発する人たちの緊張感が入り混じり、 あわただしくも凛とした空気だ。 部屋のあちこちで、クレパスが開きかけていた、とか、 ハイキャンプから上は猛烈な風だった、などと話しているのが聞こえ、 まだおぼろげな部分のあるマッキンリーのイメージがまたひとつ、クリアに磨かれていく。 見るからに体力のありそうな男性チームが疲れきって、でも充実した顔で上での様子を語っている。 緊張感とやる気、不安がすべて高まり、なかなか寝つけない。

タルキートナから見るマッキンリー クライマーズハウス クライマーズハウスのリビング


5月31日(土) タルキートナ
今日は、朝から入山届けをするために村外れにあるレンジャー・ステーションへ行った。 約2時間程のミーティングをレンジャーと行い、かなり有力な情報を得た。 コンピューターや航空写真を使い、ルート確認やクレパスの状況等、かなり詳しく説明してくれた。 午後は、パッキングを行った後、セスナ会社へ明日のフライト確認に行った。 タルキートナの村はとても小さく、どこへ行くのも歩いて10分程度だ。 夕方になって、ルース氷河(マッキンリー登山ルートであるカヒルトナ氷河の隣)から4名のアメリカ人が下山してきた。 見るからに消耗している。話すこともできない程消耗している様子だったが、 どうだったと訊いてみると「今年のルースは地獄だった、とにかく天候が悪くてどうにもならなかった」と頭を抱え込んでいた。 それからしばらくして2人のアメリカ人がマッキンリーから下山。 彼等もやはり天候に悩まされたそうだ。その内の一人は、標高4,500m付近でクレパスに落ちたらしい。 登頂できたかどうかは雰囲気で分かったので訊かずにおいた。 今回のマッキンリー、思ったより難しくなるかもしれない。がんばらなくてはならない。 宮里さんと鈴木さん大丈夫だろうか。安全第一、ゆっくり、あせらず確実にやろう。確実に。 レンジャー・ステーションで、入山前のミーティング。 アンカレッジのユースホステルで会った溝口さんも一緒だ。 かなりクリアな写真とともに、それぞれのキャンプサイトや雪崩、クレパスに関する注意などをしてくれた。 凍傷にかかり、ベースキャンプにあるメディカルテントで治療を受けたクライマーの手足の写真もあった。 「彼は大雪でテントが潰れたんだ。中から素手で雪をかき分けて、凍傷になった」 「彼女はハイキャンプの上でビバークしたときに足をやられた」どれも生々しい。 写真で見て一回、レンジャーの言葉を聞いてもう一回、それを溝口さんに訳して伝えてさらにもう一回、というふうに、 何波にもなって事故の場景が押し寄せてくる。 外に出ると、おだやかな日差しにつつまれた。 暖かい・・・。観光客がのんびり村を歩いている。不安と緊張感の塊となった自分が、 うららかな村にポツンと浮いているような、何とも言えないミスマッチを感じる。 まだ見ぬマッキンリー。大丈夫だろうか。

レンジャーステーション タルキートナエアータクシーのオフィス タルキートナエアータクシーでは必要の無い荷物を預かってくれる


6月1日(日) タルキートナ→LP(2,200)
10:30セスナに乗り込み、11:00LP到着、天候は晴れ。マッキンリーもよく見える。 ここは、マッキンリー登山の最初のキャンプ地だ。既に様々な国の登山家たちがテントを張っている。 今日は、ここで1泊し、明日の出発に備える。1日中やることもないので各国の登山家達の行動を観察した。 どこの国も、やることは一緒みたいだ。特に、目新しいことはなかった。 ここは、標高2,200mだが、北緯63度(北極圏まで400km)ということで、 酸素濃度はヒマラヤの標高約3,000mと同じだ。セスナで一気に入ってきたせいか少し息苦しい。 やっとこの日を迎える。 タルキートナの飛行場でマッキンリーの女性ガイドに出会った。 女性で山を登る人は少ないから、山で女性に会えると嬉しいわ、とニコニコ笑っている。 アメリカ人女性ガイド、というと、がっしりしていてエネルギッシュな人をなんとなく先入観で思い浮かべてしまうが、 どちらかというと小柄で柔らかな雰囲気の人だった。彼女と話しているうちに緊張もほぐれてきた。 30分でLPに着いた。雪に太陽があたってキラキラ輝いている。美しい。風もなくおだやかだ。 今日はこのままLPに泊まるので、ソリの準備などをして過ごす。 明日からどんな世界が待っているのだろうか。 不思議なもので、実際にLPに入ってみると今までの不安感が少し和らいだ。腹が据わったのかもしれない。

この荷物を全部運び上げるのだ 私達が乗ったセスナ ビデオ製作「Man in the Mountain」の撮影隊がいた。なんと女性ガイドだ。
セスナから見たマッキンリー ランディングポイント(LP) LPからのマッキンリー


6月2日(月) LP(2,200m)→C1(2,400m)
天候は快晴。LPを12:00出発。だらだらと緩やかな登りが延々と続く。 意外とキツイ。ジリジリと照りつける太陽が暑く、半袖一枚で十分だ。歩き始めて5時間ほどで鈴木さんが体調不良を訴えた。 しばらくがんばっていたが、とうとう足が前に出なくなった。原因は分からないが、とにかく完全にバテてしまっている。 彼女の引いていたソリを私のソリに連結し、彼女のザックも私のソリにのせ、空身でしばらく歩かせた。 足取りがふらふらし、クレパスにも気づかないほどバテている。どうしたのか?いろいろ考えた。 標高が原因か、慣れない海外での旅の疲れが出てしまったのか。いずれにせよ非常に危険な状態だ。 天候が良く暖かいので今はよいが、天候が崩れたら、完全にアウトだ。先行きの不安がつのる。 とにかくC1にたどり着こう。20:30、C1到着。鈴木さん完全にダウン。食事もできない状態。 私も2人分の荷物を上げて、精魂つき果てた。そんな私達を見て宮里さんも不安に襲われている様子。 とにかく今夜は寝よう。 朝から快晴。オーブンの中でジリジリと焼かれているような熱さを感じながら、ただひたすら歩く。 今は寒さ対策より熱さ対策が必要といった感じだ。数時間後、先頭を行く鈴木さんが時々立ち止まり始めた。 私は最後尾にいるのでかなり離れているが、つらそうな様子がはっきり見える。 どうしたのだろうか?歩き方も様子も、いつもとまるで違う。 永野さんのソリに鈴木さんのをつなぎ、再び歩き始める。 そろそろC1かな、この坂の上かな、と思いながらとにかく歩く。 太陽が山の陰に入った瞬間から一気に冷え込むので、なんとか陽があたっているうちにC1へ着きたい。 永野さんも相当つらそうだ。大丈夫だろうか? C1へ着くのと同時に急激に気温が下がり始める。テントを作るのがやっとで食事どころではない。 とにかく寝ることにする。永野さんの寝息がかなり荒い。顔色も悪い。 鈴木さんも座ったまま、うとうととしている。うたた寝か?意識が遠のいているのか? 心配で、寝ている2人をしばらく交互に見つめる。どうやら大丈夫そうだと思い、寝ることにする。 明日に備えなければ。

どこまでも続く氷河 来た道を振り返る 中央がマウントフランセス


6月3日(火) C1(2,400m)→C2(2,900m)
08:00起床。天候は快晴。今日は、12:30出発予定だ。それまでに、鈴木さんについて考えよう。 ここから先は、昨日の何倍もキツくなる。標高も上がる。 天候もこの快晴がいつまで続くか分からない。1人で下山するなら今しかない。 この先でバテた場合、安全を考えれば1人では下山させられない。 しかし、彼女にもまだ登りたいという気持ちもあるだろう。 せっかくのチャンスなのだから。いろいろなことが頭に浮かぶ。 1時間ほどあれこれと考えた。答が出ない。 ただ、なんとなくなる様になるということは、ここでは許されない。 全ての行動に決定的な理由が必要なのだ。全員の命と安全がかかっているのだから。 レンジャー・ステーションでのミーティング時にレンジャーから言われたことがある。 「高山病や肉体的疲労で、レンジャーやその他のクライマーに助けを求め、 状況が回復しても、登山を続けられるという意味ではない。 回復したのは下山のチャンスを得たという意味だ。 これは、世界のクライマーの共通認識なのだから必ず守って欲しい。 これが守れない場合、それは直接、重大な事故や死を意味することになる」。 鈴木さんには、下山の指示を出すことにした。 無事に帰国できなくては何の意味もないのだから。 命は1つ、チャンスは無限。副リーダーの宮里さんも同感だった。 鈴木さんも納得した。 ここで鈴木さんと分かれ、12:30私と宮里さんはC2へ向かった。20:00、C2到着。 朝起きると、2人とも回復していた。よかった。 今日は予定ではC2へ移動する日だ。しかしどうするのだろうか。 鈴木さん大丈夫だろうか?この先は、どんどんキツくなるだろう。 昨日より楽な日がくるとは考えられない。 それに晴天つづきも今日で3日目、3〜4日周期で変わると言われているマッキンリーの天候だ。 そろそろ崩れだしてもおかしくはない。 これ以上標高を上げるより、体力も回復して天候も安定している今のうちに、 LPまで下りるのが全員にとって一番安全だろうと思った。 「他のクライマーやレンジャーに助けを求め回復しても、それは登山を続けられるということではなく、 下山する機会を与えられたということだ」というレンジャーの言葉を思いだす。 命にも関わるチャレンジだからこそ、今日もう一度やってみるより、 ここからの下山という選択をするべきだろう。 鈴木さんは下山し、永野さんと私はC2へ移動することになった。 だらだらと続く坂の途中から振り返るたび、私達がテントを張っていたスポットがだんだん小さくなり、 そのうちC1も見えなくなった。それでも氷河はまっすぐ続く。 マッキンリーの懐の広さ、偉大さを実感する。

傾斜の強いところでは滑車を使って荷揚をした 女性一人でも100kgぐらいなら楽々上がる C2にて


6月4日(水) C2(2,900m)→C3(3,350m)
天候は快晴。14:30、C2出発。今日もどこまでも続く氷河を行く。 今までとは違い、傾斜も大分強くなってきた。行けども行けども続く氷河。 天気がいいのが何よりの救いだ。肉体的にはかなりキツイ。宮里さんの体力は大丈夫だろうか。 時々振り返るが彼女はいつも笑顔だ。もしかして、私の方がキツイのか?20:30、C3到着。 気温も下がり始め、気圧も下がってきた。いよいよ好天も今日で終りか。 歩き始めて数時間後、初めて氷河を曲がるところまで来た。 傾斜もかなり出てきて、止まればソリが後ろへ引かれるような重みを感じ、 歩けばソリはトレースから外れて横滑りする。 相変わらずジリジリと焼かれながらソリを直し、延々と登りつづけるのは大変な作業だ。 ソリを直すのにもうんざりしてきた頃、やっとまたまっすぐな氷河に入った。 右へ曲がりきったようだ。頭の中で地図をたどる。正面にシュプールがついたかなりの急登が見える。 まさかあれを直登するのか?と思っていたら、左手にテントがちらほら見えだした。 よかった、C3へ着いた。ザックを下ろし、テント作りを始めると少しよたよたする。 動作も鈍くなっているのがわかる。空気も薄くなってきているのだろうか、息が切れることが増えてきた。

いつも笑顔の宮里さん。キツくないのかな? すごい勢いで私達を抜かしていったアメリカ隊。やはり笑顔だ。キツくないのか? 気温が下がり始めた。C3近くの山はカチカチに凍っている。


6月5日(木)
C3(3,350m)→高度順応・荷揚(4,300m)→C3(3,350m)
天候は強風、雪、ガス。 今日は悪天候だが、あまり雪が降りつづくと4,000m付近の雪崩が怖いので、 予定通り高度順応を兼ねて荷揚をすませよう。14:30出発。気温が低い。 −15℃、風速12〜13m、ガスで視界が悪い。3,700mを越えたあたりから酸素濃度の低さが体に応え始めた。 寒くて顔を上げられない、吹きつける雪と視界の悪さが一層やる気を無くさせる。 意識も体力もしっかりしているが、第三者がこの状態を見たら、猛吹雪の中で遭難しているように見えるだろう。 今日は、写真を撮る気にならない。と言うよりも写真など撮っていては凍傷になってしまう。 クレパスも今まで以上に多くなってきた。慎重に慎重に。 出発して7時間後の21:30デポ予定地(4,000m付近)到着。 この頃には、風も雪も大分弱まってきた。 デポ品を埋めている最中、ふっと降りかえると、一瞬晴れたガスの中から目の前に巨大なマッキンリーが現れた。 スゴイ。心が踊った。よし、やるぞ。今日の疲れも吹っ飛んだ。 24:00、C3到着。しかし宮里さんは浮かない顔。疲れが溜まっているのだろう。明日は、ゆっくり休もう。 昨日はきれいな夕焼けが見えていたのに、朝起きたら小雪が舞っていた。 ガスで視界もあまり利かない。とうとう悪天の周期に入ったのかもしれない。 C3からBCの間はクレパスも多く、途中雪崩やすい場所があると聞いているので、天候の崩れがよけい気にかかる。 高度順応とデポのため、今日は4,000m付近まで行くことになった。 C3を出てすぐ、急登が始まる。途中クレパスがいくつかあり、支点をとりながら進む。 クレパスの近くを通るときには、抜けませんように・・・と思わず念じてしまう。 稜線に出ると風の強さが増した。 寒いのでフェイスマスクで覆ってしまいたいのだが、そうすると今度は息が詰まりそうになる。 雪、風、ガス、気温の低さ、酸素の薄さ、どれもひとつひとつは決定的ではないものの、合わさるとかなりつらい。 前を歩いている永野さんの黄色いシェルがガスに隠れると、つらさもよけいつのる。 「宮里さん、マッキンリーが見えるよ」デポ中、永野さんの声で振り返ると、 ガスの晴れ間に一瞬、マッキンリーが見えた。 あまりにも堂々と、どっしりとした様に、畏れを感じた。 遠くから見たときに感じた美しさを感じることはできず、むしろおどろおどろしかった。 永野さんのような、よし、これからだ、という気持ちよりも、恐ろしさの方が先行する。 下山する頃にはもう雪は止み、風もかなり収まっていたが、まだ動揺していた。 テントに戻っても動揺はまだ収まらなかった。


6月6日(金) C3(3,350m)
天候は雪。今日は、レスト日だ。 アンカレッジのユースで出会った溝口くんは、今日、C3を出発する。 ここC3からも、標高4,000m付近は大荒れに荒れている様子が分かる。 溝口くん大丈夫だろうか。 時折晴れ間がでるものの依然として風は強く、気圧も下がりつづけている。 溝口くんは、この6年間、毎年3〜4ヶ月ヒマラヤにこもり、高所トレーニングをつづけているらしい。 その合間を縫って、アコンカグアやアイランドピーク等、海外の山々を登っている。 今年の秋は、ヒマラヤ、ランタンヒマールのペンタンカルポリ(未踏峰)を狙っているらしい。 夕方になっても天候は回復する兆しがない。低気圧が停滞している。 この分では、明日もレスト日になりそうだ。 雪のため停滞。テント周りの雪かきやギア・装備の手入れをし、あとは休養。 昨日高度順応をしたおかげだろうか、初めてC3に入った日に比べると同じ作業がかなり楽に、 早くできるようになった。


6月7日(土) C3(3,350m)
天候は雪。今日も雪が降りつづいている。 朝起きると、明け方に宮里さんが雪かきをしたにもかかわらず、テントが完全に埋まっていた。 今日は1日中雪かきだ。この3日間の悪天で雪が溜まっているのだろう。 あちらこちらで爆発音のような雪崩の音が聞こえてくる。 16:00頃になって久しぶりに気圧が上がり始めた。21:00には青空も時折のぞく。 明日は、いよいよBC入りか。22:00には4,000m以下のガスはほとんど取れてきた。 かすかにヘリの飛ぶ音が聞こえてきた。 こんな時間に飛ぶなんて、この3日間の悪天で誰か遭難したのかも。明日は、BCに向けて出発だ。 夜の間にかなり降ったらしく、朝起きるとテントが完全に埋まっていた。 「大雪でテントが潰れたんだ。中から素手で雪をかき分けて、凍傷になった」 レンジャー・ステーションで見た、凍傷の写真を思いだす。 起きるのがもっと遅かったら、私達のテントも潰れていた・・・?ぞっとする。

外は悪天候でもテントの中は快適 私の顔も結構むくんできた あっという間に埋もれてしまう

C3 隣はアメリカ隊のテント。旗の一枚一枚に無数の寄せ書き


6月8日(日) C3(3,350m)→BC(4,330m)
天候は小雪、ガス。思っていたより天候は悪いが歩けないほどではない。 昼近くになると、時折ガスも晴れ、視界が利くようになってきた。 午前中、帰りの燃料と食料をC3にデポして、12:30、C3出発。 荷揚のときに口を開けていたクレパスは、この3日間で全て雪に覆われヒドンクレパスとなっている。 今まで以上に慎重に歩こう。 心配していた3,500mあたりから4,000mのウェストバットレス側岩稜帯からの雪崩は、 風で新雪が吹き飛ばされ、さほどではなかった。 それでも時々、小規模な雪崩が私達の頭上で起こり、肝を冷やした。 この標高でのラッセル、ガス、雪、風は、私達の体力をおおいに奪い、精神的にもダメージを受けた。 宮里さんのスピード、笑顔は完全に失われ、とてもつらそうだ。 3日前にデポした荷物をピックアップし、24:00、BC到着。 宮里さんが心配だ。完全に消耗している。テントに入っても回復する様子がなく、食事も摂れない。 栄養剤だけ飲ませ寝ることにする。いよいよ心配していた高山病との戦いが始まりそうだ。 BCへ移動。ここ3日間停滞していたチームが一斉に動きだした。 すれ違いと追い抜きラッシュが続く。 稜線に出てからは雪、風ともに強くなり、ガスで視界もほとんどない。 一度荷揚げしてあるので、今はザックのみで歩いているのに、やたら重く感じる。 やがて、雪崩るので雪が降っているときは行かないように、とレンジャーが言っていたポイントに差しかかる。 傾斜も増し、トレースも狭まる。右側には大クレパスがいくつも口を開けている。 かなり距離はあるものの、こんな天気のときに通って気持ちいい場所ではない。 左手の岩稜帯についた雪の様子が気になるが、ガスでほとんど見えない。 小さな雪崩が何度か起きる。 気持ち悪く、早く通過してしまいたいけれど、そんなペースでは歩けない。止まらず歩き続けるのがやっと。 4,000m付近まで来ると、雪も大分小降りになった。 デポ品を回収し、再びソリにセットするだけで一仕事だ。ここからはなだらかな坂が続く。 あと300mほどの登りでBCだ。今までの急登、トレースの悪さに比べればどれほど歩きやすい場所か。 それなのに息が不規則にあがり、数歩進んでは止まりそうになる。苦しい。 あと少しだと頭では理解していても、身体のコントロールが効かない。 つらいのは私だけじゃない、永野さんはもっと重い荷物を背負っている。 彼の方がつらいはずだ。止まりそうになるたび、何度もそう思う。 よろよろとしている自分が情けなく、不甲斐なく、気がつくと泣きながら歩いていたりする。 まったく、情けない。途中、マッキンリー山頂から登攀ルートを下山中の4人組を永野さんが見つけた。 目を凝らすがそれらしき人々は見えない。立ち止まって上を見上げるだけで息があがる。 「歩いてればそのうち着くよ」「宮里さん、ウェストバットレスが見えてきたよ」 前から永野さんが声をかけてくれる。声が出せず、私はうんうんとただ頷くだけだ。 天気は回復し、もうおだやかに晴れている。ゆるやかな登りを一体どれくらいかけて歩いたのだろうか。 時間の感覚も歩いた距離の感覚も完全にない。何度目かの坂を登ると、BCが見えた。 テントを張り、寝袋にもぐる。それでも震えるような寒さが止まらない。胃も痛い。 C3を出てから12時間たっていた。

C3を出発、最初の急登を終えて「ほっ」と一息 この岩稜帯の裏側にBCがある 稜線上は風が強く花崗岩が露出している


6月9日(月)
BC(4,330m)→高度順応・荷揚(4,700m)→BC(4,330m)
天候は、曇り時々雪、ガス。天候は少しずつ回復してきている。 先にBC入りしていた溝口くんは、今日HCに向けて出発するとのこと。 私達は、C3で悪天をやり過ごしたが、彼の話では、BCでの悪天は、かなり過酷だったようだ。 昼頃、時折ガスが晴れるとウェストバットレスの急登に10名ほど取り付いているのが見えた。 その後、何度か彼等の姿を確認することができたが、4,700m付近で停滞しているようだ。 溝口くんもあの中にいるのだろう。昼過ぎに宮里さんを起こした。 彼女は、しばらく寝袋に足を入れ、うなだれたまま座っていたが、突然ポロポロと涙をこぼし 「もう私だめです。今回はギブアップします」と言い出した。 私は、それを了解した。とにかく、今日は天候が安定していないので下山もできないし、少し運動をして食事だけでも摂るよう薦めた。 「夕方には、天候も回復するから、5,000m付近を目標に少し歩いてみよう、 そして、また4,330mまで標高を下げれば少し楽になるから」と私が言うと「はい」と少し明るい声が戻ってきた。 ギブアップすると言って気持ちが楽になったようだ。15:30テントの外に人の気配を感じた。 「は、敗退しました。ちょっと中に入れてもらっていいですか?」苦しそうな溝口くんの声だ。 私が、テントを開けるや否や、倒れ込んできた。「上は、風が強くて地獄ですよ。 胸ぐらいのラッセルで、完全にやられました。 フィックスロープが張ってあるはずなんですけど、雪に埋まってしまって見つからなかった」ハアハアと息を切らせて苦しそうだ。 「他に登ってる人は?」と訊くと「3名の台湾隊を残して全員、敗退です。 明日、またチャレンジします」その後、彼はお茶を一杯飲んで、自分のテントを張りに、また外へ出ていった。 19:00頃になるとガスも晴れ、視界もよくなった。 「少し運動しよう」デポ品をザックに詰め私達は出発した。 4,700m付近には、先ほど溝口くん達が停滞した後があった。 そこから、四方八方に踏み跡がついていて、フィックスロープを探し回った彼らの苦労がうかがえた。 その付近から随分はずれたところに、稜線まで続く踏み跡があり、フィックスロープが見えている。 どうやら3名の台湾隊はHCまで登っていったようだ。私達は、デポ品を埋め下山することにした。 テントに戻ると宮里さんの食欲もでてきた。「私、やっぱり頂上に行きたい」彼女の言葉に力が戻った。 どれぐらい寝ただろうか。時計を見るともう昼すぎだから、数時間は寝たのだろう。 それなのに徹夜明けのようにただひたすら眠い。寝起きのボーッとした状態が続く。 ただ眠いだけのように思えるが、実は高山病による無気力状態だ。もう少し寝かせて。 このまま横にならせて。起き上がってはみたものの、まだまどろんでいる。 先に起きていた永野さんが、天気予報を片手にこれからの日程を確認している。 たとえ高度順応でも、これ以上標高を上げていくことがただつらく、怖い。 「私、もうだめかも・・・」また泣いている。 意思とココロとカラダがバラバラになっているらしく、自分がコントロールできなくなっているのが、悲しいことに自分でもよく分る。 「今はつらくても、晴れない日はないから」永野さんの言葉で少し元気がでた。 夕方、デポを兼ねて高度順応に出かける。 一歩一歩が、入ってはいけない領域に自ら歩を進めているような感覚で、恐ろしい。 それでも4,700mまで来た。トレースが幾筋もついており、みんなでフィックスロープを探した、という溝口さんの話を思いだす。 今は気温も下がっているので雪もある程度しまっているが、昼間、ここで胸までもぐりながらフィックスを探し回るのは、 気の遠くなるような作業だったにちがいない。でも、それをやった人たちがいるのだ。 そして、上がっていった人たちも。「一番左のトレースが正解ですよ、あれがフィックスに続いてるんです」 溝口さんに教えてもらったように左に大きくトラバースしていくと、フィックスロープが見えた。 けれど、取り付くことはできない。今日は寒くて、ガタガタと震えっぱなしだ。 胃も痛い。これからユマーリングして稜線に上がる勇気がどうしても持てなかった。 フィックスのそばにデポして、下山。

左の影になっているところがウェストバットレス。下の平らなところがBC BC近くにある氷のブロック。いつか落ちるだろう 4,700m付近。宮里さんに笑顔が戻った


6月10日(火)
BC(4,330m)→高度順応・荷揚(4,950m)→BC(4,330m)
天候は、晴れ時々小雪。宮里さんの体調が回復した。昨日までとは違い、言葉にもはきが出てきた。 食欲もある。久々に見る青空だ。今日は、4,940mまで高度順応を兼ねてデポしに行こう。 下山後も彼女の体調はいい。これなら行けそうだ。天候は、14日ぐらいまで持ちそうだ。 予報では、11日晴れ、12日晴れ、13日晴れ、14日曇りとなっていて14日あたりから次の低気圧が入ってくる。 そうすると11日にHC入りし、12日レスト、13日登頂、14日下山ということになる。 次の好天待ちをするなら、最低でも17日までBCで停滞することになる。これでは体力が持たない。 登頂するためには、明日HC入りするしかない。 「宮里さん、明日HC入りするしかないね。どうだろう?」彼女の目は輝いていた。「それしかないと思う。私行けそうです」 夢を見た。何てことはない坂道の脇に、フィックスロープが2本張ってある。 私はその道を、最初は普通に歩いている。そしてふと横を見て、フィックスに気づく。愕然とする。 「フィックス、こんな安全で、傾斜もゆるいところに張ってあったのか?なのに私は取り付きもしないで下りてきたのか?」 フィックスに触ることなく下山した自分に呆れ、後悔しているところで目が覚めた。 私はまだ寝袋に寝ていて、山の中だった。嬉しかった。まだBCにいる。まだ、登れる。 もう一度高度順応のため、今日も登る。昨日の下山地点を過ぎ、いよいよフィックスロープだ。 登れることが、歩けることが、嬉しくてたまらない。標高を上げていくのが気持ちよく思えるのは久しぶりだ。 ユマーリングを始めると、色々な人の声が聞こえた。 手が先行しすぎたときは、「クライミングは足が基本!」という阿部さんの張りのある声。 調子よく登っているときは、「そうだ、それだ!」という中田さんの柔らかな声。 気持ちよく登っているうちに、稜線に着いた。4,950m。BCから眺めていた稜線の裏側を、やっと見れた。 「あと、もう2回がんばれば、頂上だよ」テントに戻ってから、永野さんがこの先4日間の天気と行動予定を説明する。 明日はレストの予定だったが、それでは天候の周期と合わない。 明日、HCへ移動することにした。やっとここまで来たのだ。今日は一日中体調もよかった。大丈夫だ、きっとやれる。

スゴイ急登だ。苦しい 宮里さんも調子良さそうだ 4,940m付近リッジに出たところには各隊のデポがたくさんあった


6月11日(水) BC(4,330m)→HC(5,240m)
天候は、晴れ、風。今日、HC入りできないと登頂は難しくなる。 リッジから上は、風が強そうだ。朝食を摂っている時、宮里さんに昨日の元気がなくなっていることに気づいた。 「宮里さん、今日は登れそう?」「はい、行きます」元気はないが、気持ちは前向きだ。 12:00とりあえず準備をして出発する。 朝からの様子を見ていると今日の宮里さんのHC入りは、ほぼ不可能と感じていたので、テントはBCに張りっぱなしで出かける。 どちらにしろ、重い荷物を背負うこともできなそうなので、HCでは雪洞にツェルトを張ることにした。 宮里さんは、アイゼンを着けたり、ロープを結ぶだけで呼吸が乱れている。かなり苦しそうだ。 最初の2時間は危険個所も無い。歩けるところまで、気がすむところまで歩かせてあげたい。 私達は、ゆっくりと歩き始めた。3分に一度の割合で立ち止まった。 次第に一歩進む毎に立ち止まり、もう直ぐ、彼女のマッキンリーチャレンジが終ることを感じ取った。 歩き始めて40分後、何も言わない彼女に対して私から切り出した。「行けそう?」彼女は下を向いたまま首を横に振った。 「後悔しない?」彼女は今度は首を縦に振った。 「よし、これで終りにしよう。よく、がんばった」私が彼女のところまで下り、握手をすると彼女の目からポロポロと大粒の涙がこぼれた。 「また、いつかチャレンジしよう」私達は、その場に座り込み、しばらく思いをめぐらせた。 「永野さんはこのまま行ってください。私はBCで待ちます」一つしかないバーナーは私が持ち、一つしかないテントは宮里さんに残した。 私一人の挑戦が始まった。彼女と分かれHC目指してひたすら登った。 HCに着いたのは20:00。既に、20張りぐらいのテントがある。その中に溝口くんのテントもあった。 情報収集をしようと彼のテントを訪ねた。「永野さん、待ってましたよ」彼の陽気な声は私を元気づけてくれた。 この10日間で登頂に成功している隊はほとんどないらしい。 いま、HCにいるのは、1週間もしくはそれ以上の間、天候待ちしている者か、昨日、今日で登ってきている連中だ。 長い間ここで停滞している者は多くの問題を抱えているようだ。 食料の問題、燃料の問題、標高の高いところでの長期滞在による疲労、精神的なあせり等様々だ。 しかし、どの隊もチャンスは明日しかないことを知っている。 今日、上がってきた連中は、私を含めレスト、高度順応なしで、明日、登頂するしかない。 登頂は、標高差約1,000m、HCとの往復10時間から24時間と言われている。 私は、明日の朝10時に出発することにした。溝口くんは5時出発予定だ。 溝口くんのテント前に縦穴をほり、その上にツェルトを立てて仮眠場所を確保したのが21:00。 溝口くんは2人で寝た方が暖かいから、自分のテントに入れと誘ってくれたが、 私は、これから水を作ったり、食事をしたり、まだ、仕事が残っているので、彼の睡眠の邪魔をしたくなかった。 「睡眠なんて要らないっすよ。2、3時間寝れば大丈夫、とにかく入ってください」と彼の明るい誘いに、結局、甘えることにした。 その後24:00まで2人で話し込み、寝袋に入ったが、眠ることができない。 明日のことで気持ちが高ぶっているのか、それとも高山病か。溝口くんも眠れないようだ。 02:00頃ようやく彼の寝息が聞こえてきた。私は、その後も眠ることができなかった。 登頂するためには、今日HCへ移動するしかない。 明日以降に遅らせることは、HCで悪天につかまり、一週間は停滞することを意味する。 一日かぎりのチャンスなのに、朝から熱っぽく、だるい。 力も入らず、昨日の調子のよさがウソのようだ。昨日、5,000m付近まで標高を上げている。 ここは4,330m。十分順応しているはずだ。寝起きにボーッとするのはいつものこと。 歩き始めて身体に酸素が回り始めるまでの辛抱だ。のろのろとではあるけれど準備をし、出発。 階段状に踏み跡がついた斜面をゆっくり登っていく。3度目の道だ。2時間ほどで小さなコルに出る。 そこへ着く頃には、楽になっているに違いない。そう信じ、足を前へ出していくが相変わらず息があがりっぱなしだ。 そうだ、途中でステップを切ろう。ステップを小さくしよう。 しかし、アイゼンを十分に蹴りこめず、ツメで雪をとらえることができない。 仕方なくステップ通りに上がろうにも、一歩ごとにバテていく。 もう酸素が回り始めていい頃なのに、楽になるどころか、夢の中でフワフワと漂っているような、頼りない感触しかない。 ベットリとした嫌な汗も引かない。気持ち悪さも増してきた。 「大丈夫?」永野さんが振り返る。答えられない。今の私の状態では、何時間かかってHCへ着くかわからない。 行けるかどうかも怪しい。いや、おそらく・・・無理だ。 もう足が前へ出なくなってズルズルと滑り、もがきながらアンザイレンしたロープに引っ張られるようにして、ここまで来たのだ。 自分の足で歩いている感覚も、とうにない。今日移動できないということは、登頂できないということだ。 こんな天気のいい日なのに。頂上も、そこに見えているのに。動けなくなった自分が悔しくてたまらない。 でも、私はそうでも、永野さんはこのまま行ける。 これ以上私に付き合わせてしまったら、永野さんのチャンスまで潰すことになる。 「永野さんはこのまま行ってください。私はBCで待ちます」下にはテントも張ってある。 バーナーはないけれど、この好天だ。太陽のあるうちなら、気温はプラス。 水は集められるし、最悪、雪を食べてしのげばいい。 登ることはできないけれど、そのぐらいなら、まだ、やれる。 「わかった。3日で戻ってくるから」永野さんを見送る。オレンジ色のザックがどんどん小さくなる。 テントに戻ると、水作りを始めた。 フライシートの上にたまった水滴、つらら、雪などを水筒に集めていく。 隣のスペインチームのテントから人が出てきた。不審そうにこっちを見ている。 永野さんの帰りを待っていることを説明する。バーナーがないことは言わなかった。 助けてもらうには、まだ早すぎる。私はそこまでの努力をしていない。 助けを求める基準は2つ。 具合が悪くなってどうしょうもなくなったときと、万が一、テントを潰してしまったとき。 まだまだだ。私は順応している高度に下りてきているのだ。 ここで簡単に人の厚意に甘えてしまっては、上でがんばっている永野さんに合わせる顔がない。

ロープがカチカチに凍ってユマールが噛まない リッジに出てからも油断できない稜線が続く 太陽が出ているのがせめてもの救い。風が強く、気温も低い、息もできない


6月12日(木)
HC(5,240m)→マッキンリー山頂(6,194m)→HC(5,240m)
天候は、晴れ、風。昨晩はほとんど眠れないまま05:00になった。溝口くんは寝ている。そろそろ起こそう。 「溝口くん5時だよ」私は、寝袋の中から彼を突っついた。 「うわ、寝坊した」彼は飛び上がると用意を始め、05:15には「そんじゃ、いってきまぁす。」と元気よく歩きだした。 依然として眠くならない私は、テントの中からしばらく彼を見送っていた。 気温はかなり低い。−20℃に風速10m程の風。体感温度は−30℃をかるく下回っている。 HCを出発すると最初の急登デナリパスだ。デナリパスには、まだ、日が差さず、陰っている。見るからに寒そうだ。 既に出発したアメリカ人3名がデナリパスの中間地点をゆっくりと進んでいる。 その後から溝口くんがグングンと追い上げている。大丈夫なのか、そんなに飛ばして。 そうこうしているうちにようやく睡魔が襲ってきた。 「今だ、ねるんだ」表面が真っ白に凍りついた寝袋にもぐり込み07:00から09:00までぐっすりと眠った。 今日は長い1日になりそうだ。 チョコレート一握りを口にほおばり、アミノ酸、ビタミンC、クエン酸、砂糖をお湯で溶かしたスーパードリンクを飲み、 予定通り10:00、HCを出発した。とても寒い。まともに歩いていては凍傷をまぬがれない。 指先が凍らぬようピッケルを何度も持ち替え、手を上下にふりながら歩いた。 最初の急登デナリパスのトラバースは油断できない。落ちたら最後だ。 つまずいたりすることは死を意味する。300m下には、いくつものクレパスが大きな口を開けている。 所々、雪が飛ばされカチカチのアイスバーンになっている。 また、雪がついていても安定しておらず、いつ足元から崩れ落ちるか分からない。 誰ともザイルで結ばれていない孤独感がたまらない。慎重に慎重に進む。2時間ほどで稜線に出た。 私の前方に歩いていたアメリカ人2名が休憩している。2人とも全く会話がない。かなり衰退しているようだ。 私も20分ほど休憩をとった。その間に4パーティーの下山グループが通った。 彼らは、皆、力尽きて敗退してきたらしい。ここから上は、かなり風が強く気温も更に下がると彼らからの情報。 さあ、出発しよう。ここからが勝負だ。気持ちは前向きだが、しかし足が動かない。一歩踏み出す度に息が上がる。 5,000m付近から高度順応なしで上がってきたせいだろうか?頭もボーッとしている。 とにかく止まってはだめだ。ゆっくりでも歩きつづけなければ登頂できない。 止まれば血行が悪くなり、状況は悪化する。歩け歩け。 途中、5,715m地点で、日本山岳会科学委員会マッキンリー気象観測プロジェクトリーダーの大蔵さんが設置した、気象観測機器が見えた。 今回のマッキンリー登山に際し、大蔵さんの報告書は大変参考にさせていただいたので、是非とも立ち寄りたいと思っていたが、その余裕がない。 遠くから機器を見つめ、感謝の意を表明した。風が強くなってきた。 足先の感覚はあるか?指先は大丈夫か?夢心地になっている自分に何度も問い掛けた。 少しずつ左目がかすんできた。酸素不足だ。気をつけろ。腹式呼吸だ。 それでも左目は回復するどころか、ほとんど見えなくなってしまった。 乾燥している空気のせいで喉もやられている。咳をすると血が混じった痰が出る。 日焼け、乾燥、寒さでやられた顔は、冷たい風があたる度に、針で刺されるような痛みを感じる。 全てが調子悪い。とにかく危険に対する意識だけは鈍らせないよう気をつけよう。 既に、いつもの自分の思考回路は失われていることを自覚して、最善の注意をはらおう。 「永野さーん、とーちょーしました」あの元気のよい声が上から聞こえた。溝口くんだ。 「今日、一番で登頂しました」私達は手を握り合って喜んだ。 「がんばってください。ハイキャン(HC)で待ってます」彼の意気揚揚と下山する姿を見送った。 彼と言葉を交わして、少し正気を取り戻した気がした。なんとしてでも登頂して、HCで喜びを分かち合おう。 そして、この苦しい時を終らせよう。歩きつづければいつか頂上に行きつく。 どれぐらい歩いただろうか。短い急登を登りきるとフットボールフィールドという、だだっ広い雪原が広がり、 その向うには、最後の急登がそびえ立ち、その頂きは、紛れも無くマッキンリー山頂だ。やった。 ここまで来たぞ。もう一息だ。稜線までひたすら歩いた。自分の登山人生にはない猛烈に遅いスピードで歩きつづけた。 いよいよ稜線へ出た。ここで滑落したら即死だ。 ゆっくりと、ゆっくりと進む。やがて植村直己さんが登頂し、旗を立てた時の写真と同じ場所が目の前に現れた。 あの写真と同じ場所だ。間違えない。終った。終った。おわったのだ。 しばらくその場に立ちすくんでいた。ゴーという風の音しかしない。 向うに見えるのは北極だろうか?植村直美さん、山田昇さんらもこの景色を見たのだろうか? さあ、下山しよう。終ったんだ。19:30、HC到着。 今日中にBCまで下りたかったが、一旦、溝口くんのテントに入って一息ついたら足が動かなくなった。 明日、早朝に下山しよう。溝口くん、やはり今朝の寒さで人差し指を凍傷でやられたようだ。指先に水泡ができている。 昨日集めた水でアルファ米をもどす。今日も快晴だ。 テントの中にいると暑いくらいだ。この分なら今日も水が作れそうだ。 予報ではあと2日は晴れそうだが、少しでも雲がかかると気温は一気にマイナスになる。 今のうちに水を確保しておきたい。水作りが大事な日課になった。 スペインテントからリーダー格の男性が出てきた。 コーヒーを淹れるからおいでよ、と声をかけてくれる。さり気なく、見守ってくれているようだ。 BCには50人ほどのクライマーがいて、テント村になっている。 メディカルテントもあり、レンジャーも常駐している。 それでも、テントの中に一人でいる孤独感や不安のためか、昨日はあまり眠れなかった。 でも、大丈夫、私はやることをやりながら、永野さんの帰りを待てばいい。 昨日よりは調子もよくなった。 今になって順応したのか、休んで疲労が取れたのか・・・もう遅いけれど、だいぶ頭もすっきりしてきた。 BCから見るかぎり、雪煙も見えないし上に雲もかかっていない。 予定では永野さんは今日登頂するはずだ。どうしているだろうか。 上には溝口さんもいる。無事だろうか。 BCで弱い風が吹くたび、上では何メートルの風になっているのだろうと気になる。

右下に見える岩の露出しているあたりがHC。デナリパスから デナリパスから稜線を見る デナリパスからマッキンリー北峰方面を見る
デナリパスを上がって休憩時に会ったアメリカ人2名 フォーレイカが低く見える マッキンリー山頂手前のカヒルトナホルンから
山頂までの最後の稜線 山頂までの最後の稜線 登頂写真
写真で何度も見たことのある山頂 登頂写真、苦痛で顔がゆがんでいる 宮里さんを影で支えたスペイン隊


6月13日(金)
HC(5,240m)→BC(4,330m)→C2(2,900m)
天候は、晴れ、強風。04:00起床。外は風速30mの強風だ。 バーナーのない宮里さんをBCに残してきている。下山しなければならない。 05:00出発。ウェストバットレスまでナイフリッジが続く。慎重に下山しよう。 HCから下山しそうな隊はなく、私がテントを出たときにはHCは静まり返っていた。 と言うよりも、強風で雪が舞い上がりテントはあるものの、人の気配をまったく感じない。 恐怖を感じた。天候は良いが、強風で巻きあがる雪煙で、10m程しか視界がない。 ナイフリッジ上を歩けば、命がいくつあっても足りない。 時間はかかるが、強風が吹き上げてくる右側の岩稜帯を、何度もトラバースしながら下った。 右足の親指の感覚がなくなったが、それを気にすることすら危険な岩稜帯だ。 とにかく、足を止めずにウェストバットレスのリッジまでたどり着いた。 ウェストバットレス側に入ると風は嘘の様に止まった。足の親指をやられた。 深刻な凍傷ではないが、しばらく(半年)は痺れたままだろう。BCが眼下に見えている。 一気に下った。08:00、BC登着。テントの前までくると宮里さんが出てきた。とても元気そうだ。 この3日間、BCは、たいした天候の崩れもなく、十分に静養できたようだ。疲れがどっと出てきた。 足も腰もガクガクだ。5時間程休憩をして、今日はC2まで下ろう。 また、低気圧が近づいているのだ。13:00、BC出発。足腰がガクガクなのを除けばとても快適だ。 天気もいいし、風も無い。気温も高く、フリース一枚で十分だ。今回、初めて景色を楽しんだ。20:00、C2到着。 なかなか寝つけないまま横になっていたら、明け方03:00頃から風が吹き始めた。 何の風か気になる。日の出の頃、太陽に向かって吹く風だろうか? 予報では今夜、低気圧が抜けることになっていたけれど、その最初の雲だろうか?天気が早まっているのか?という心配も拭えない。 張り縄やペグを見に、外へ出てみる。 フライシートがバタバタと鳴っているので、中にいるといかにも吹き荒れているように思えるが、外に出てみればそれほどでもない。 そういう時は12〜3mぐらいだよ、と以前教えてもらったのを思いだす。 ブロックも積んであるし、この程度の風でテントがやられることはないだろうと思うものの、心配はつづく。 HCから上はBCの風速の2倍以上、と聞いている。だとすると、今ごろ上では30m級の風だろうか。 テントに入ってからも、風は相変わらず吹いている。 時折、カチカチとポールが鳴るような音もする。耳をすませ、中からポールを見つめる。 この程度の風でテントがやられることは絶対ないだろう、という思いと、 でも万が一、という思いが交錯し、あれこれ考える。風は数時間吹き、BCに太陽があたり始めるころになって収まった。 今夜、低気圧が通過する。水が作れるのも今日までかもしれない。 支度していると、外でバサッと物を置く音と、人がいるような気配を感じた。 人が通ることは時折あるけれど、通路を歩いているにしては音が近かった。 フライを開けてみる。満面笑顔の永野さんがいた。疲れきっている。 昨日、登頂したと聞く。よかった。本当によかった、よかった。

フォーレイカを見ながらのんびり下山 フォーレイカを見ながらのんびり下山 空には雲一つ無い


6月14日(土)
C2(2,900m)→C1(2,400m)→LP(2,200m)
天候は、晴れ。C2の朝はとても穏やかだ。この大自然を十分に楽しもう。 下山するのがもったいない気持ちだ。12:00、C2出発。こんなに、のんびりとした気持ちは久しぶりだ。 17:00、LP到着。鈴木さんも元気だ。溝口くんも一足先に到着していた。 台湾隊も戻っている。スロバキア隊も戻ってきた。チェコ隊もいる。 終った。終った。明日は、文明の地へ戻るのだ。 ピザ、ハンバーガー、コーラ、ドリートス、早く食べたい。14日ぶりに食欲がわいてきた。 低気圧が入る前に、昨日のうちにC2まで下山してきた。なんて穏やかなんだろう。 日が落ちれば気温は下がるし、一応風も吹くけれど、恐怖を感じる厳しさは、もうなかった。 もう高度順応に出かける必要もなく、このままゆるやかな氷河を下っていくだけだ。 C1を通過したあたりで、突然ザックが軽くなった。空身の気分だ。 酸素ももう濃くなっているのだろう。安全なところではソリで滑って下りた。 早い。マッキンリーに来て初めて楽をした。 LP到着。鈴木さんがいる。溝口さんも下りてきている。 長く長く張りつめていた緊張が、やっと解けた。やたらと喉が乾き、おなかもすく。 標高が上がるにつれ知らず知らずのうちに麻痺していた五感が、戻ってきたのかもしれない。

C2の朝 C2の朝 近づくフランセス
遠ざかるマッキンリー 楽チン楽チン LP手前で来た道を振り返る


6月15日(日) LP(2,200m)
天候は、曇り、ガス。今日はガスが出ていて、セスナが飛んでくれなそうだ。がっかり。明日に期待しよう。 朝起きると、全身ひどい筋肉痛だった。 酸素が濃くなったことが、こんなところにも出てきたようだ (酸素が薄いと壊れた筋肉を修復できないため、筋肉痛も起こらないらしい)。


6月16日(月) LP(2,200m)→ タルキートナ
天候は、曇り後晴れ。今日もセスナが飛ばない。午後に期待。 13:00頃から晴れ間が見え始めた。セスナの音がする。 来た、来た、来たぞ。どの隊もあわただしく動き始めた。 私達がセスナに乗り込んだのは15:00。飛び立った。次第に氷河が離れていく。 マッキンリーの全容も見えてきた。 機内から後方に離れて行く大きな山、偉大な山デナリ(マッキンリー)を何度も振り返る。 眼下に広がる白い氷河は、やがて緑のアラスカへと変わった。 間もなく16日前に飛び立った、あのタルキートナ飛行場が見えてきた。 セスナが止まり、ドアが開いた。風が暖かい、なんて長閑なんだ。 「風が柔らかいね」宮里さんの表現がピッタリだ。緑や花の香りもする。 なんとも言えない充実感が私を包んだ。 朝からガス。今日もダメかなと思い始めたころ、セスナが飛びだした。 LPが活気づく。やがて、私達の順番が来た。離陸する。 今まで歩いてきた氷河が、あっという間に眼下に広がる。マッキンリーもよく見える。 グレーシャーブルー(氷河が融けてできた、コバルトブルー色の湖)も見える。 やがて雪はなくなり、緑や土、舗装道路も見えるようになった。 振り返るとマッキンリーの大きさはまだ変わらない。大きい。どこまで行っても。 30分ほどでタルキートナ到着。ドアが開く。 アスファルトの上に立つ。硬い。そよ風が草花を揺らしている。柔らかい。 緑の匂いがする。別世界だ。しばらく立ち止まり、あたりを眺めてしまう。 パイロットの男性のコロンの匂いもする。文明の香りだ。帰ってきたんだ。 そして、終わったんだ。永野さんと握手する。ありがとう、ありがとう。

氷河ともお別れだ



マッキンリー登山いかがだったでしょうか。
予定より早く下山した私達は、タルキートナの村外れにある川辺で
9日間のキャンプ生活をおくりながら毎日、
焚き火、バーベキュー、フィッシング、トレッキング等を
楽しみました。その時の写真もご覧下さい。


16日分の食事をするような気持ちでピザをほおばる。左から溝口くん、宮里さん、鈴木さん トレッキング中に見かけたムース どこまでも続く草原が美しい
私達のキャンプサイト 釣った魚が今夜の夕食 毎日、釣りをした湖
夕暮れのキャンプサイト
23:30頃
タルキートナのメインストリート メインストリート以外は、こんな道
下山後は肉をたくさん食べた 今日は魚料理だ クライミングの練習?


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