海外でのクライミング、登山、トレッキングレポート

 

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A Story of Gucci


A Story of Gucci,2014 Yosemite

A Story of Gucci
チャレンジの先に彼女が見たもの、
それは、未来に広がる、限りない可能性と
新たな目標であった。

人は、時に不運にみまわれ、
また、時に不本意な自分に打ちのめされる。
そんな時、私たち人間は、下を向き、
あきらめ、後ろをむいて逃げ出したくなる。

遠い昔、どこかで聞いたことがある。
強さとは、自分を信じる心と、
自分に起こる全てのことを受け入れる心だと。

彼女は、その言葉を私に、
実践して見せてくれた。



 

A Story of Gucci

 

始まり

彼女(Gucci)が始めてYFクラブに参加したのは、4年前の2010年9月11日のことであった。外岩は初めて、ということで、5.7、5.8と簡単なルートから順に登り始めた。高所に慣れていないこともあり、腰が引け、実力の半分も出せていなかったように記憶している。5.9を登る頃には、疲れ果て悪戦苦闘。そして、全く登ることのできなかった、ルートを1日中、ずっと見上げている彼女を覚えている。

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きっかけ

それから一年後の2011年、8月に開催したスコーミッシュ(クラック合宿)に私は、彼女を誘ってみた。「え〜、だってクラックでしょ。私クラックなんか登れないもん。ムリムリ。」と今となっては、もう、彼女の口から聞くことのできない言葉を発していた。不安と戸惑いを抱え、半信半疑で、その年、彼女はスコーミッシュへやってきた。体がボロボロになるまで登り込んだ。

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好スタート

その一年後の2012年8月、彼女はやはり、スコーミッシュへやってきた。トップロープで登っていた昨年とは、どこか違う。この一年間、目標を持ち、ナチュラルプロテクションのセットを覚え、クラックを登りこんできた。「今年は、できるだけリードしたい」。この時が、彼女のクラッカーとしての本当のスタートだったように思う。この年は、随分と成果を出し、成長した。

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勢いに乗った彼女は、翌年、2013年1月に開催したプラナン合宿に申し込んできた。引きつけ力が強い彼女にとって、石灰岩の前傾壁は、もってこいのトレーニングであろう。スポーツルートであるプラナンは、クラックではないものの、今後、彼女がトライしていくだろう、高グレードのクラックルートには、絶対になくてはならない力を与えてくれる。私も、彼女の参加を大いに喜び、期待に胸を膨らませていた。彼女も、また、私以上に期待に胸を躍らせていたことだろう。

 

絶望

しかし、プラナン合宿直前の12月、「アキレス腱、断裂してしまいました」とプラナンキャンセルのメールが届いた。勢いに乗っていただけに、ショックは大きかったであろう。アキレス腱断裂がその後の数年間を棒に振ってしまうことは、彼女が一番分かっていたに違いないからだ。少なくとも半年は、ろくに歩くこともできないだろう。前進し続けることの難しさ。良い状態を維持することの難しさ。そして、それらのハードルを乗り越えられず、目標を忘れ、新しいことに向かってしまうのが人間の常。それも、また、悪いことではないであろう。私は、この時、短い、しかし、楽しかったクライミングという趣味が彼女の中で過去の思い出となっていくように思えた。

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復帰

その年の、2013年9月に開催されるヨセミテ合宿。5月、募集を始めると、なんと、彼女からの申し込み書が届いた。9月までには何とかすると決めたのであろう。彼女が岩場に現れたのは、怪我から半年以上も経った7月のことであった。足を引きずりながら、ポールを付き、岩場までのアプローチを、ゆっくり、ゆっくりと歩く彼女が痛々しかった。しかし、筋力、持久力ともに半年間のブランクを感じさせない。多分、一人で黙々と、できるトレーニングを重ねていたのであろう。痛めた足が障害となってはいたが、ムーブのキレもさほど、以前と変わっていない。彼女の頭の中には、常にクライミングがあったのだろう。

しかし、2013年のヨセミテ合宿。思うように登れていない彼女がいた。ほとんど、リードもできず、トップロープにぶら下がる彼女。スコーミッシュでの勢いとは対照的に、岩の感覚を怖々とさぐる毎日であった。足首に力が入らないのだから、アキレス腱を再度断裂する恐れがあるのだから、当然のことであろう。それでも、弱音をはかず、恐怖や不安と戦いながらも、少しずつ、少しずつ。暗闇の向こうにある明るい未来をつかむために。

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この、2013年ヨセミテ合宿から、翌年2014年ヨセミテ合宿までの1年間、彼女は、怒涛のトレーニングに励んだ。焦らず、しかし、確実に自分を取り戻し、そして成長していった。仕事の合間をぬってジムへ通い、雨の日も、風の日も、休みの日には岩場へ通った。雨の予報でも少しでも登れる可能性があれば、出かける日々が続く。2014年4月にはオーストラリア合宿にも参加した。依然として、思うように登れない日々が続く、しかし、どんな日でも彼女は目標に向かって上を向き続けた。苦手なものにも、かかんにチャレンジしつづけ、自分の弱い部分を一つ一つ消していく日々が続いた。登れない自分が悔しく、怪我をしたことが悔しかった。

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2014年9月、彼女は再び、ヨセミテへ戻ってきた。私たち、スタッフも皆、Gucciが何のためにここに居るのか理解している。ヨセミテ2日目、これまでの努力に花を咲かせる時がきた。「グッチ、ここリードね」杉野さんが背中を押した。「Lunatic Fringe 5.10c」5つ星だ。彼女のクライミング経験において、この、ヨセミテの43mのロングルートは、少し、いや、かなり難しい。しかし、クライミングは技術や経験だけではない。諦めない気持ち、登ろうとする強い意志が物を言う。「さあ、Gucci、スタートだ。今までの思いをぶつけよう」。

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Gucci完登後のインタビューより

スタートして、8mで最初の核心を越える。この時は、まだ、行けるところまで頑張ろうという気持ちだった。20mを越えたころ、私の中に、落ちるという概念は消え去り、ただ、ひたすら登りきることに集中していた。腕は、破裂しそうなほど疲れている。体全体の力が抜けてゆく。しかし、落ちるということは、頭をよぎらない。どんなことをしてでも登りきるのだ。今持っている全ての、技術、知識、経験、それでも足りないというなら、何か、目に見えない力を使ってでも、登りきるのだ。終了点らしき物は全く見えない。どんなに上を仰いでも、果てしなく岩が続き、その上には真っ青な空が広がっている。距離感が解らない。青い空に向かって、どこまでも続く岩。もう考えるのはよそう。何も期待しない。ただ、目の前にある、課題に対して、自分のできる限りの力を尽くそう。どれだけ時間がたっただろうか。長いのか、それとも短いのか。少しずつ、そして、また少しずつ登っていく。夢のような時間が過ぎる。登るために必要のない、不安、邪念は一切ない。今、私を、突き動かしているものは何なのか。奇跡の連続のような登り、いつ落ちてもおかしくない、フットジャムだけで止まっている、全てが遠い、そして、力も残っていない。それでも、まだ、続く。目の前に終了点が一瞬見えた。今までの思いが、涙となって溢れ出した。

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43m、2時間の死闘を終え、戻った彼女を皆が取り囲んだ。「お帰りGucci。 怪我をしてから1年9ヶ月、よく戻ってきたね」。私はそんな風に思うと同時に、このルートに取り付く2時間前には持っていなかった何か、それを胸に、新たな目標に向かって旅立ってゆく彼女を感じた。自分の手で自分の未来を、そして今後の目標を掴み取ったのである。この後も、Outer Limits、Catchy、Moby Dick、Sacherer Cracker等々、目標にしていたルートを次々とRPまたはOSしていった。帰国後も彼女は成果を出し続けている。果てしなく続く彼女の挑戦。しばらくは、しばらくは。

 



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